溝口政勝
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溝口 政勝(みぞぐち まさかつ、慶長13年(1608年)- 寛文10年1月28日(1670年3月19日))は、越後沢海藩の第2代藩主。初代藩主・溝口善勝の長男。母は加賀藩重臣前田長種の娘。正室は溝口宣勝(宗藩新発田藩主、善勝の兄)の娘。子は溝口政良(長男)。幼名は金十郎。官位は従五位下、土佐守。
寛永11年(1634年)、父の死去により跡を継ぐ。このとき、所領1万4000石から弟の助勝に3000石、直勝に1000石を分与した。後に嗣子なくして助勝が死去すると、もう一人の弟の信勝に2000石を与えた。寛文10年(1670年)正月28日、63歳で死去し、跡を長男の政良が継いだ。法号は恵観浄智清香院。墓所は新潟市江南区沢海の大栄寺。