池田政言
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池田 政言(いけだ まさこと、正保2年7月10日(1645年8月31日) - 元禄13年8月19日(1700年10月1日))は、備中鴨方藩の初代藩主。
備前岡山藩主・池田光政の次男。母は讃岐丸亀藩士の水野勝之進の娘。正室は番氏朋の娘。側室に浦上氏。子は池田政倚(長男)、娘(山内豊清正室)、娘(土倉一涂室)。官位は従五位下、信濃守。幼名は左門。初名は恒能。
慶安2年(1649年)、池田政信の養嗣子となる。寛文12年(1672年)、父・光政の隠居と兄・綱政の藩主就任により、2万5,000石を分与されて支藩である鴨方藩を立藩した。藩政においては文武両道で和歌に優れ、道徳ある善政を敷いたと、父の光政と同じく名君として高く評価されている。元禄13年(1700年)8月19日、56歳で死去。法名は天珪院殿性月自光大居士。跡は長男・政倚が継いだ。