池田政倚

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池田 政倚(いけだ まさより、寛文9年1月27日1669年2月27日) - 延享4年7月4日1747年8月9日))は、備中国鴨方藩の第2代藩主。

初代藩主・池田政言の長男。母は浦上氏。正室は池田綱政の養女(滝川一宗の娘、宝雲院)。子に池田政含(長男、鍛治之助・早世)、娘(池田政晴正室)。養子に池田輝言池田軌隆の次男、病により廃嫡され本家に戻る)、池田軌明(池田軌隆の三男、病により廃嫡され本家に戻る)、池田政方池田由道の次男)。官位は従五位下。内匠頭。通称は内匠。初名は政熙。

元禄13年(1700年)、父の死去で家督を継ぐ。宝永6年(1709年)7月、内裏の造営手伝い普請を務めた。元文3年(1738年)2月16日、養嗣子の政方に家督を譲って隠居し、延享4年(1747年)7月4日に岡山で死去した。享年79。法名は禅通院殿蘭渓良秀大居士。墓所は岡山県岡山市中区小橋町の国清寺

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