江上武種
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江上 武種(えがみ たけたね、生没年未詳)は少弐氏の家臣。父は江上興種。
少弐資元、少弐冬尚に仕えた。家臣の龍造寺氏の台頭を疎ましく思い、龍造寺隆信の家督相続などに反抗的な態度を取ったため、対立することとなる。1558年に元少弐氏の家臣で隆信に投降した小田政光が攻撃してきたときは、政光を逆に討ち取るという功績を挙げたが、翌年1559年に隆信の攻撃の前に筑後へ落ち延びた。主君である冬尚は、頼みの武種が隆信に敗れたことで、ついには自害して果てた。その後、武種は肥前に戻り隆信に属した。
その後、大友氏の攻撃を受けるが、隆信が援軍を出さなかったので、大友方に付き大友氏の佐賀城攻めに参加した。大友氏の肥前侵攻は1570年の今山の戦いで頓挫し、隆信の逆襲が始まる。結局また隆信の圧力に屈し、隆信の子の家種を養子に迎えたて和睦した。この時の和睦は、重臣執行種兼の進言よるものであった。