汎神論
テンプレート:出典の明記 汎神論(はんしんろん)とは、全ての物体や概念・法則が神の顕現であり神性を持つ、あるいは神そのものであるとする世界観・哲学。万有神論。汎神教は、世界のすべてを神の現れとする宗教[1]。一神教・多神教を問わず、歴史上のさまざまな宗教に汎神論的傾向がみられるとされる。古代インドのヴェーダとウパニシャッド哲学、ソクラテス以前のギリシア思想、近代においては、スピノザ、ゲーテ、シェリング等の思想がこれに属する。
英語の pantheism (パンセイズム)は、ギリシア語の pan(全て)と theos(神)の合成語で、文字どおり「全ては神」で「神は全て」を意味する[2]。つまり神と一切万物(または宇宙・世界・自然)とが同一であるとする思想であるが、一口に汎神論といってもさまざまな形態がある。一方では「神が全てである」ことを強調する無宇宙論 (acosmism) があり、他方では「森羅万象が神である」ことを強調する汎宇宙論 (pancosmism) がある[3]。後者の立場は一種の唯物論に通じ、無神論的とされる場合がある。ドイツの哲学者K・C・F・クラウゼは、万物は神に内在すると捉える万有在神論 (panentheism) を主張した[3]。
概要
万物に神性が宿るならば神性の有無を論じるのは無意味となるとして、無神論に分類されることも稀にある。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の信者の中には汎神論を否定する人々がいるが、その理由としては、森羅万象を神と定義づけてしまうと人間の中にも神が宿っていることとなり[※ 1]、それはすなわち人間が犯す罪は神が犯した罪ということになるからであるとされる。神を唯一無二の存在(=唯一神)であるとするためには、人間を含む自然界を超越した無謬の存在でなくてはならないのに、それが守れなくなるからであるとしている。ただし、唯一神についてのこのような解釈はひとつの例であり、一神教ならば必ずこのような神理解をしなければならないというわけではない。上にも示したとおり、汎神論的要素は多神教・一神教問わずほとんどの宗教の神理解に存在しているとされる。
唯一神教が汎神論的性格を重視するようになると、それと一体となった終末論が薄れていくという解釈もある。
歴史
汎神論的思想は古代からあるが、汎神論という用語自体は西洋近代に作られた。テンプレート:仮リンクが1705年に「一切は〔大文字の〕神であると信ずる人」という意味で汎神論者 (pantheist) という造語を用いたのが始まりである。1732年には神学者のテンプレート:仮リンクが汎神論 (pantheism) という語を使用した[4]。その後、18世紀後半のドイツでは、それまで無神論として扱われ無視されることが多かったスピノザの「神即自然」の思想をめぐって汎神論論争が起こり、この論争の影響を受けたドイツロマン派やシェリングらを通じて、ドイツ観念論において汎神論的傾向をもつさまざまな思弁が展開された[2]。
脚注
- ↑ たとえば、アニミズムの要素が認められ、明確な教義のほとんどない神道においては、神と人の境界は曖昧であり、また過去に人であった存在(故人)や、現在存命中の人(現人)を神として祀っている神社も存在する。一方でたとえば、如来蔵思想から汎神論的と評されることがある大乗仏教においては、人と神との間には明確な境界付けがなされているといえよう。
出典
参考文献
- SHOGAKUKAN INC. 『大辞泉』 小学館、2010年、http://dictionary.goo.ne.jp/jn/ 。
関連項目
- 神・尊格
- 論
- 人物