橋本皆助
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橋本 皆助(はしもと かいすけ、天保6年(1835年) - 明治4年4月16日(1871年6月3日))は、新選組隊士(伍長)、御陵衛士、陸援隊隊士。旧姓は藤井。変名水野八郎、藤井勇七郎。
大和郡山藩出身。脱藩して水戸天狗党の筑波山挙兵に応じ、慶応2年(1866年)に新選組に入隊。仮隊士となる。三条制札事件の功労によって正式隊士となり、伍長に昇格するが、慶応3年(1867年)には伊東甲子太郎らと同意して新選組を離脱、御陵衛士を結成。しかし、その5ヶ月後に御陵衛士も脱退し、陸援隊に入隊。
維新後、大和郡山藩への帰藩を許されたが、帰郷後ほどなくして病死。享年37。墓所は奈良県大和郡山市の常光寺。墓参りをすると腹痛が治る伝承がある。テンプレート:Asboxテンプレート:Japanese-history-stub