松平 輝徳(まつだいら てるあきら、文政3年11月5日(1820年12月10日) - 天保11年9月14日(1840年10月9日))は、江戸時代後期の上野高崎藩主。高崎藩大河内松平家8代。
松平正温の孫で5000石を領した大身旗本松平信弥(のぶみつ)の次男。生家は三河吉田藩の分家。従五位下、右京亮を称する。幼名は勇五郎。
同族の松平輝承の急逝により、天保10年(1839年)9月12日、養子として家督を相続する。しかし、翌天保11年(1840年)に死去した。嗣子がなかったため、養子の輝充が後を継いだ。
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