村木賢吉
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村木 賢吉(むらき けんきち、1932年8月30日 - ) は、日本の男性演歌歌手。
経歴
転勤先の三菱マテリアル直島製錬所に勤務中、同じ職場で直島出身の佐義達雄と意気投合。
1972年、槇島人の芸名で「土方渡世の唄」を出すが一部に注目されるだけで終わった。同年に佐義の作詞作曲、村木の唄で、演歌「おやじの海」を500枚自主制作。「おやじの海」は6年後に北海道釧路市で有線放送から人気に火が付き、数か月で全国に広がり、1979年の大ヒット曲となった。
47歳の新人歌手は各方面から注目を浴び、140万枚[1]以上のセールスを記録した。全日本有線放送大賞最優秀新人賞を受賞。佐義も日本作詞大賞大衆賞を受賞。1979年の第21回日本レコード大賞では企画賞を受賞(大賞はジュディ・オングの「魅せられて」)。銀座音楽祭に出場。しかしNHK紅白歌合戦への出場はならなかった。
1998年、直島町文化協会から直島町への寄贈でつつじ荘に「おやじの海」の碑が建てられた。
民謡経験に裏打ちされた、しっかりとしていて温かみのある素朴な歌声が魅力。
現在も歌手活動を続けており、懐メロ番組などで時折、その昔と変わらない声と姿を見せている。また、民謡教室を主宰している。
脚注
関連項目
- 大泉逸郎 - 村木と同様、プロではない中年歌手として持ち歌が大ヒット
- 総務部総務課山口六平太 - 村木がネーミングソースと思われる登場人物、「村木賢吉」が登場