本間ゴルフ

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株式会社本間ゴルフ(ほんまゴルフ)は、東京都港区に本社のある、ゴルフクラブの草分け的な老舗メーカーである。 かつては「パーシモン(persimmon:柿) といえば本間」というほどの抜群の知名度を誇り、木製ウッド全盛の時代、「ヒロホンマ」ブランドのクラブは、高級品としてゴルファーに絶大な人気を誇った。石原裕次郎が愛用したことでも有名であり、西部警察山形ロケの舞台にもなった。創業者の本間敬啓、裕朗兄弟は酒田本間氏庶流にあたる。

略歴

1958年横浜市で開業したゴルフ練習場を母体に、1959年「有限会社鶴見ゴルフセンター」(その後1972年「有限会社ホンマ」に変更)を設立。1963年に「有限会社本間ゴルフクラブ製作所」を設立してクラブの製造・販売を開始する。

1978年に本間ゴルフクラブ製作所、ホンマをそれぞれ株式会社に昇格させる。1990年にそれぞれ「本間ゴルフ製作所」「本間ゴルフ」に変更し、1992年両社とゴルフ場開発の本間ゴルフ興産を吸収合併し一本化する。

1973年、日本のゴルフクラブメーカーとしてはじめてのカーボンシャフト(ブラックシャフト)クラブを販売開始。1978年には自社製造も開始した。また創業者が血を引く豪商本間氏のお膝元山形県酒田市に専用工場を建設し、製造・販売の一貫体制が整備された。

このころのウッドは未だ木製が主流の時代であり、本間は「パーシモンのウッドでは右に出るものはない」とまで言われた。

1995年には株式の店頭公開も果たしたが、時代はすでにチタンなどのメタル(金属製)ウッドが全盛の時代に突入していた。飛距離の点で有利なメタルウッドに人気が集まる中、パーシモン主流の本間はこの分野で完全に出遅れたため、その後の業績に深刻な影響を与えた。

また、2001年1月には創業者である本間敬啓が脱税逮捕されたほか、ゴルフ場経営などの多角化を推し進めたことも災いして資金繰りが悪化、ついには2005年6月東京地方裁判所民事再生法の適用を申請、経営破綻した。株式はジャスダックに上場していたが、これを受けて2005年7月に上場廃止となった。

経営破綻後

2006年11月、創業者本間敬啓の息子で社長の秀一が、酒田工場放火の容疑で山形県警に逮捕された。現在は、創業家を離れ再建されている。2007年4月1日に李孝が社長に就任。それまでの「裕福なシニアクラス」が使うクラブのイメージを一新しようと比較的リーズナブルな価格のモデル「アスポート」シリーズをリリースする。

中国系企業の傘下入り

2010年2月中華人民共和国の大手企業が共同出資する持ち株会社のマーライオンホールディングスの傘下に入ることを発表。マーライオンホールディングスは投資会社から過半数の株式を譲り受け(株式総数や売却金額は非公表)、今後は中国での販売拡大を目指すこととなった[1]。それに伴い、本間ゴルフ会長に中国人で愛帮網総裁のテンプレート:仮リンクが就任。

関連項目

脚注

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外部リンク

  • asahi.com(朝日新聞社):本間ゴルフ、中国系企業の傘下入り - ビジネス・経済 - 朝日新聞 2010年2月23日