有馬 義祐(ありま よしすけ、生年不詳 - 1421年10月22日(応永28年9月26日))は赤松則祐の五男。摂津有馬氏の祖。子は今参局や烏丸資任と共に「三魔」の1人と言われる有馬持家。
兄赤松義則が赤松家の後を継ぎ播磨国・備前国の守護職に任命された為、義祐は播磨の守護代となる。1391年の明徳の乱の戦功により摂津国有馬郡有馬荘の地頭職に任命され、その土地の名を取って姓を有馬とした。1408年、兄・義則が出家し、その子満祐が家督を継ぐと、義祐は守護大名同様に将軍家に仕えることとなる。
1421年、一族内の抗争により、2歳の孫と共に赤松家の若党に殺害される。
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