昇仙峡

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ファイル:Kakuenpou in autumn.jpg
秋の昇仙峡 覚円峰

昇仙峡(しょうせんきょう)は、山梨県甲府市甲府盆地北側、富士川の支流、荒川上流に位置する渓谷である。1923年(大正12年)に国指定名勝に指定され、さらに1953年(昭和28年)に特別名勝に格上げされている。正式名称は御嶽昇仙峡(みたけしょうせんきょう)であるが、一般には御岳昇仙峡と新字体で書かれる事が多い。秩父多摩甲斐国立公園に属し、同公園を代表する景勝地として知られる。長潭橋(ながとろばし)から仙娥滝までの全長約5キロメートルに亘る渓谷は、川が花崗岩を深く侵食したことにより形成された。渓谷内には、奇岩が至る所に見られる。日本二十五勝平成の名水百選等に選定されている。

概要

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ファイル:Nagatoro Bridge in Shosenkyo entrance of Tenjinmori.JPG
渓谷入口の天神森にある長瀞橋
(2013年10月28日撮影)
ファイル:Ujo Noguchi who visited Shosenkyo Valley in 1927.JPG
1927年(昭和2年)日本二十五勝に選定されたことにより、昇仙峡を主題にした新民謡作成のため訪れた野口雨情(中央の丸椅子に座る白い服の人物)。仙娥滝上の仙峡亭にて。

昇仙峡を含む奥秩父山塊には甲信国境に山岳信仰を受けた金峰山があり、古来から山岳信仰が広まり、甲府方面から昇仙峡を通過し金峰山頂に至る吉沢口など修験道の道として御嶽道が存在していた。

金峰山信仰は近世にも展開され、御嶽道は甲府方面の南口のみならず東口・西口方面からも山口九所と呼ばれる登拝口が整備され、南口の吉沢・亀沢・塚原の三ルートはいずれも昇仙峡を通過する街道として整備された。また、近世初頭には甲州街道が整備され甲斐には江戸から多くの文人が往来し、昇仙峡は地誌類を通じて山岳信仰のみならず甲斐の名所として広まった。江戸後期の天保5年(1834年)には長田円右衛門・勇右衛門が地元の生活道路として御岳新道を開鑿し天保14年(1843年)には完成しているが、やがてこれが渓谷沿いの観光ルートとして利用される。 戦後には山梨県の産業として観光業が振興されるが、1972年には御岳昇仙峡有料道路(現在無料)が開通し、甲府市や山梨県の主要な観光地として整備された。

渓谷は天神森地区の長潭橋から始まるが、途中の能泉地区までの渓谷沿いは車道が狭く、シーズン中の土日祝日は車両通行規制が行われ歩行者専用になる(平日は上り方向の一方通行)。その先の能泉地区から仙娥滝の間が渓谷のハイライトで、観光客の多くは駐車場が整備されている仙娥滝付近を中心に訪れる。年間を通して多くの観光客で賑わうが、自家用車で観光に訪れる者も多く、紅葉が見られる観光シーズンの11月の土日は、周辺の道路が渋滞するほど賑わう。そのため、公共(県営)駐車場もあり、観光施設や土産物店にも駐車場が併設されている。施設店舗を利用すれば無料のところがほとんど。

景勝地

  • トーフ岩
  • らくだ岩
  • 猫岩
  • 人面岩
  • 登竜岩
  • 羅漢寺
  • 石門(花崗岩の巨石で出来た天然アーチ)
  • 覚円峰(昇仙峡のシンボル、水面からほぼ垂直に屹立する高さ約180mの巨岩)
  • 天狗岩
  • 仙娥滝日本の滝百選

絵画

近世甲斐国へは甲州街道をはじめとする諸街道の整備に伴い多くの文人画家が来訪し作品を残しており、御嶽昇仙峡についても天保5年(1834年)に御岳新道が開発された後は来訪が容易となり、多くの画家が訪れた。天保13年(1842年)には甲府の文人画家である竹邨三陽が『仙嶽闢路図』を描き、覚円峰などの景勝地を紹介し出版され、これが契機となり昇仙峡は景勝地として知られるようになった。

明治13年(1880年)には三陽の弟子である三枝雲岱が明治天皇巡幸に際して『御嶽新道図』を献上し、雲岱は昇仙峡を画題とした作品を手がけているほか、引き続き景勝地としての昇仙峡を紹介した出版物が数多く製作された。南画家の野口小蘋は甲府商家野口家に嫁ぎ山梨にも滞在しており、小蘋は明治26年(1893年)に『甲州御嶽図』を製作している。

明治36年(1903年)には中央線開通により昇仙峡への利便性が高まったことにより観光地として知られるようになり、東京美術学校講師の鶴田機水は明治後期には水墨画『密画金溪図』において、昇仙峡の奇岩や溪谷から受けた心象を場所を確定した写実的な描写ではなく、自身の想像力により近接拡大して描いている。大正期には河内雅溪は『昇仙峡之図』において写実的な山水画としての昇仙峡を描いている。

昭和期には近藤浩一路が昭和3年(1928年)に『覚円山雨』を描いており、昭和30年代には近藤乾年が『覚円峰』を描いている。

漫画・映画

つげ義春の『池袋百点会』のラストシーンに印象的に描かれた。後に石井輝男により1993年に映画化された『ゲンセンカン主人』のラストシーンにも登場する。主人公のつげをモデルにした津部役の佐野史郎と、福子役の岡田奈々が観光馬車で昇仙峡をゆく。

周辺の見どころ

1992年には仙娥滝の近くに昇仙峡影絵の森美術館が建てられ、藤城清治の作品を中心に影絵切り絵の作品が展示されている。同美術館は1994年に世界一の影絵美術館としてギネスブックに認定された。

交通アクセス

覚円峰の麓にある仙娥滝から弥三郎岳頂上にあるパノラマ台まで、昇仙峡ロープウェイが運行されている。所要時間5分、20分間隔で運行。晴れていれば山頂から富士山南アルプスを望むことができる。

その他

昇仙峡に名称の由来を持つ食事として、御岳そばがある。御岳そばの御岳は、昇仙峡の正式名称である御岳昇仙峡を意味する。

ギャラリー


参考文献

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関連項目

外部リンク

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