本門宗
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テンプレート:Sidebar 本門宗(ほんもんしゅう)は、日興門流(日蓮の弟子・日興の法脈を受け継ぐ本山末寺)が1876年(明治9年)に結成し、 1941年の日蓮宗、顕本法華宗との三派合同によって発展解消した、法華宗系の宗派。教義的には勝劣派に属した。
沿革
- 1876年(明治9年) 富士門流に所属する8本山とその末寺により、日蓮宗興門派として発足。
- 1899年(明治33年)本門宗と改称。
- 1900年(明治34年)大石寺とその末寺が離脱し、日蓮宗富士派として独立、1912年(明治45年)には日蓮正宗と改称。
- 1941年(昭和16年)勝劣派の顕本法華宗、一致派の日蓮宗とともに三派合同を行い、勝劣派、一致派の諸門流の本山末寺からなる日蓮宗に発展解消。本門宗の前管長由比日光師は日蓮宗内部における富士門流の組織興統法縁会の初代会長に就任した。
歴代管長
代 | 姓・日号 | 在位 | 所属 |
---|---|---|---|
(臨時) | 釈日貫 | 1876年2月23日 - | 京都要法寺 |
初代 | 釈日貫 | 1876年4月6日 - | 京都要法寺 |
第2代 | 大井日完 | 1879年5月30日 - | 伊豆実成寺 |
第3代 | 寺堀日善 | 1880年5月14日 - | 下条妙蓮寺 |
第4代 | 下山日布 | 1881年5月16日 - | 大石寺 |
第5代 | 寿日顗 | 1882年4月27日 - | 西山本門寺 |
第6代 | 富士日霊 | 1883年9月31日 - | 小泉久遠寺 |
第7代 | 天野日観 | 1884年12月00日 - | 北山本門寺 |
第8代 | 高橋日恩 | 1885年11月13日 - | 西山本門寺 |
第9代 | 天野日観 | 1887年4月29日 - | 北山本門寺 |
第10代 | 富士日勧 | 1884年4月13日 - | 保田妙本寺 |
第12代 | 富士日霊 | 1888年11月5日 - | 小泉久遠寺 |
第13代 | 稲葉日穏 | 1889年4月6日 - | 下条妙蓮寺 |
第14代 | 大井日住 | 1890年4月8日 - | 伊豆実成寺 |
第15代 | 大石日応 | 1891年4月7日 - | 大石寺 |
第16代 | 坂本日珠 | 1892年4月7日 - | 京都要法寺 |
第17代 | 妙高日海 | 1893年4月24日 - | 小泉久遠寺 |
第18代 | 寿日顗 | 1894年5月1日 - | 西山本門寺 |
第19代 | 富士日霊 | 1895年8月21日 - | 小泉久遠寺 |
第20代 | 芦名日善 | 1896年6月10日 - | 北山本門寺 |
第21代 | 稲葉日穏 | 1896年6月10日 - | 下条妙蓮寺 |
第22代 | 大井日住 | 1898年4月2日 - | 伊豆実成寺 |
第 代 | - | ||
第 代 | 菅日遠 | -1927年2月7日[1]- | |
第 代 | - | ||
第 代 | 由比日光 | 年 月 日 - 1941年4月11日 | 西山本門寺 |
1916年3月29日、「宗制」を改正し、管長輪番制を廃し、公選制へと以降[2]。
主要本山
総本山、宗務院は静岡県富士宮市の北山本門寺に設置されていた。
関連項目
外部リンク
参考文献
- 日蓮宗寺院大鑑編集委員会『宗祖第七百遠忌記念出版:日蓮宗寺院大鑑』大本山池上本門寺, 1981.1.1
- 榎木境道『富士門流の歴史 重須編』妙教編集室, 2007.7.22
- 富士年表増補改訂出版委員会『富士年表』日蓮正宗宗務院, 2008.3.28