新橋 (東京都港区)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:Pathnav テンプレート:Infobox Settlement
新橋(しんばし)は、東京都港区にある町名。現行行政町名で新橋一丁目から新橋六丁目まである。日本の鉄道発祥の地として知られる。芝地区総合支所管内に属する。
丸の内・品川に連なるビジネス街であり、サラリーマンの街として有名である。東に汐留、北に千代田区内幸町、中央区銀座に接する。
「新橋」とは、狭義には現在の新橋一丁目、新橋二丁目、新橋三丁目、新橋四丁目、新橋五丁目、新橋六丁目の区域を指す。また、広義には隣接する汐留(港区東新橋)・旧木挽町(中央区銀座の東部)にまたがる地域全体を指すことがあり、新橋演舞場や新橋芸者・新橋の料亭街などという場合はすべてこの広義の「新橋」に該当する。
目次
歴史
沿革
町名の新橋は、汐留川(新橋川)に架かっていた「新橋」(東海道の橋)に由来する。(現在の中央区銀座八丁目交差点南側)
- 1710年(宝永7年) ここに芝口御門が造られた事により新橋が芝口御門橋と改称される。また、この頃までに新橋地区は芝口一-四丁目・源助町など町屋として成立し、町奉行支配となる。
- 1724年(享保9年) 芝口御門が消失。以後も門が再建されなかったため、芝口御門橋は再び新橋の名に戻った。
- 1868年(明治元年) 東京府成立に伴い、新橋地区は東京府に所属する。
- 1872年(明治5年) 日本初の鉄道が新橋駅(後の汐留貨物駅)に開通する。また、新橋地区の武家地が新たに烏森町・日陰町などとして成立する。江戸時代には主に銀座よりが新橋だったが、駅が設けられて後は港区側が新橋と呼ばれるようになった[1]。
- 1878年(明治11年) 芝区成立に伴い、東京府芝区の所属となる。
- 1882年(明治15年) 新橋ステーション前から日本橋まで、日本初の馬車鉄道が開通する。
- 1889年(明治22年)5月1日 東京市成立に伴い、東京市芝区の所属となる。
- 1909年(明治42年)12月16日 烏森駅(現在の新橋駅)が開業する。
- 1914年(大正3年)12月20日 新橋駅が汐留駅に、烏森駅が新橋駅に改称される。
- 1923年(大正12年)9月1日 関東大震災により、新橋地区はほとんど焦土と化す。
- 1932年(昭和7年)12月1日 関東大震災後の復興のための大規模な町名整理が行われ、新橋地区の数多くの町が消滅し、新たに新橋一丁目から新橋七丁目が成立する。町名として「新橋」が登場するのはこのときが最初である。
- 1945年(昭和20年) 終戦後しばらくの間、都内最大規模の闇市が新橋に開かれる。
- 1947年(昭和22年) 芝区が赤坂区・麻布区と合併して新たに港区が成立。それに伴い町名に「芝」の冠称がつき、東京都港区芝新橋となる。
- 1965年(昭和40年)7月1日 住居表示が実施され、従来の芝新橋に隣接する芝田村町をあわせて現在の新橋一丁目から新橋六丁目が成立する。
町名の変遷
震災復興期
実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部) |
---|---|---|
新橋一丁目 | 1932年12月1日 | 二葉町、芝口一丁目、新幸町、汐留町一丁目、官有の無番地 |
新橋二丁目 | 烏森町、日蔭町一丁目、芝口二丁目、官有の無番地 | |
新橋三丁目 | 愛宕下町一丁目、日蔭町二丁目、芝口三丁目、官有の無番地 | |
新橋四丁目 | 愛宕下町二丁目、源助町、官有の無番地 | |
新橋五丁目 | 愛宕下町三丁目、露月町(ろうげつちょう)、官有の無番地 | |
新橋六丁目 | 柴井町、愛宕下町四丁目、官有の無番地 | |
新橋七丁目 | 愛宕下町四丁目、宇田川町、官有の無番地 |
住居表示実施前後
実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部) |
---|---|---|
新橋一丁目 | 1965年7月1日 | 芝新橋一丁目、芝田村町一丁目 |
新橋二丁目 | 芝新橋二丁目、芝田村町二丁目 | |
新橋三丁目 | 芝新橋三丁目、芝新橋四丁目、芝田村町三丁目 | |
新橋四丁目 | 芝新橋四丁目、芝新橋五丁目、芝田村町四丁目 | |
新橋五丁目 | 芝新橋五丁目、芝新橋六丁目、芝田村町五丁目 | |
新橋六丁目 | 芝新橋六丁目、芝新橋七丁目、芝田村町六丁目 |
施設・史跡
新橋一丁目
新橋二丁目
新橋三丁目
- 現代ガラス博物館
- 桜田公園
新橋四丁目
- 日比谷神社
- 新橋四郵便局
新橋五丁目
- 塩釜神社
- 新橋住友ビル
新橋六丁目
交通
鉄道
道路
- 国道15号(中央通り、第一京浜)
- 東京都道316号日本橋芝浦大森線(昭和通り)
- 東京都道405号外濠環状線(外堀通り)
- 首都高速都心環状線
ゲイタウン
新橋はビジネス街、一般向けの歓楽街の顔が最も大きいが、ゲイ・タウンとしての顔も併せ持っている。戦後初のゲイバー「やなぎ」(1945年)は烏森神社の参道に開店したことで知られる。この店には吉野のママこと吉野寿雄氏が働いていたことがあり、客には、江戸川乱歩、アラン・ドロン、イブ・サンローラン、ピエール・カルダンらも訪れていた[2]。
現在は新橋駅烏森口の3・4丁目エリアを中心にゲイバーが66店(3丁目29、4丁目28など)、ゲイ系トータルでは74店集まっている[3]。かつてはゲイバーの数は多いといえず、1998年のBadiのイエローページには新橋エリアのゲイバーは15店しかなかった[4]ことを考えれば驚異的な伸びといえ、新宿二丁目、上野・浅草エリアに次ぐ第3のゲイタウンとして急浮上している。
脚注
関連項目
- 新橋演舞場 - 所在地:中央区銀座
- 港区 (東京都)の町名