播磨屋橋

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播磨屋橋(太鼓橋)

播磨屋橋(はりまやばし)は、高知市中心部にある道路で、長さ約20mの桁橋である。俗に、ひらがなではりまや橋と表記されることも多い。

国道32号支線と、土佐電気鉄道桟橋線が通る。

歴史

名称の由来

江戸時代に、高知の豪商である播磨屋と櫃屋(ひつや)は、互いに本店が堀で隔てられていた。この両者の往来の為に架けられた私設の橋が、「播磨屋橋」(はりまや橋)の名称の由来である。

城下町・高知の中心部に位置しているので、橋の付近には、江戸時代初期に、遠江国掛川(現・静岡県掛川市)から移住した山内家の家臣たちの住居が集まっていた。

明治から現在まで

竹林寺の僧・純信が恋人であるいかけ屋・お馬の為に髪飾りを買ったという悲恋物語は「よさこい節」の歌で有名である。

元来は堀川に架かる小橋であったが、1928年の土佐電鉄桟橋線延伸開業に伴う高知市の街路整備により、同市の目抜き通りに一変した。1960年代に入ると、製紙工場からの排水に起因する市街地河川の水質汚濁が顕著となり、堀川はほぼ全長に渡って埋め立てられた。

1998年、車道の隣に歩道専用の太鼓橋として新しい播磨屋橋が設けられ、橋の下には人工水路が設置された。旧欄干は、播磨屋橋公園の地下に展示されている。

また、播磨屋橋公園には、明治時代の播磨屋橋を復元した橋も架かっている。

2012年には、播磨屋橋公園にペギー葉山の楽曲「南国土佐を後にして」の歌碑が建てられた。碑は午前8時半から午後8時半まで1時間おきにペギー本人の歌声が流れ、隣に建てられた鯨の親子が潮を吹く仕組みになっている。なお、同碑は全国から集まった1600万円の寄付金で建立され、除幕式にはペギー葉山本人も出席した[1]

交通の中枢

最寄りに土佐電気鉄道桟橋線はりまや橋停留場があり、土佐電気鉄道高知県交通の「はりまや橋バス停留所」がある。

はりまや交差点は、四方からの路面電車が十字で交差していることもあり、高知市の実質上の道路元標となっている(名目上の道路元標は県庁前交差点)。1928年頃には、「東洋一の交差点」とも謳われた。

脚注

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関連項目

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  1. ペギー葉山感激 高知で「南国土佐を後にして」歌碑除幕式スポニチ、2012年11月4日