戸田港
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ファイル:Heda.jpg
戸田港を北から望む
ファイル:Entrance to Heda bay.jpg
戸田港の入口。右は御浜岬の突端
水深は比較的深く、遠洋漁業の基地になっている。また駿河湾の深い海底谷に隣接しているため、深海魚やタカアシガニが多数水揚げされる。港の周辺には戸田温泉が広がっている。
嘉永7年11月4日(1854年12月23日)の安政東海地震の津波で大破したエフィム・プチャーチン提督のロシア船「ディアナ号」が1855年1月15日(安政元年11月27日)に駿河湾で沈没し、代わりの帆船、「ヘダ号」がこの地で建造されるまで、一行は宝泉寺に滞在した。日本とロシア友好の地であるこの地では、戸田港まつりが毎年行われている[1]。
沖合に沈んだ船の錨が1954年(昭和29年)、1976年(昭和51年)に引き上げられ、前者は造船郷土資料博物館に、後者は富士市三四軒屋の緑道公園に展示されている[2]。