恵本裕子

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テンプレート:MedalTableTop テンプレート:MedalCountry テンプレート:MedalSport テンプレート:MedalCompetition テンプレート:MedalGold テンプレート:MedalCompetition テンプレート:MedalSilver テンプレート:MedalCompetition テンプレート:MedalBronze テンプレート:MedalBronze テンプレート:MedalBottom 恵本 裕子(えもと ゆうこ、1972年12月23日 - )は、日本の女性柔道家。段位は四段。北海道旭川市出身。1996年アトランタオリンピック柔道女子61kg級金メダリスト。2013年現在、三井住友海上柔道部の特別コーチを務めている[1]

経歴

北海道旭川南高等学校に入学後、かつてテレビで見たスクールウォーズのファンだったため、最初はラグビーに取り組みたかったが、「ラグビーは顔に傷がつくから女子には勧められない」とラグビー部監督に断られる。「そんなに格闘技がやりたいなら柔道をやってみないか」と誘われたことがきっかけで、高校一年の秋から柔道を始めた。[2]。高校時代はインターハイの団体戦で3位になる。また全日本体重別選手権大会でベスト8に入り、全日本ジュニア強化選手に選ばれた。

進路を決める際には、本人は短大進学から警察官になることを希望していたが、住友海上でコーチであった持田典子(ソウル五輪61キロ級銅メダリスト)の目に留まりスカウトされることになった。住友海上女子柔道部に入ってからより力を付け始め、1994年の体重別61キロ級で初優勝して、広島アジア大会では2位となった。

そして翌年の体重別も優勝して幕張で開催された世界選手権代表に選ばれるも、初戦でチェコのミカエラ・ヴェルネロワに開始僅か11秒の送足払で敗れた。この大会で取れなかったオリンピック出場権を取るべくアジア選手権に出場して3位に入り、何とか出場権は確保した。

1996年の体重別では初戦で敗れたものの(その後敗者復活を勝ち上がって3位)、他に有力な選手もいないことからか、過去の実績を考慮された上でオリンピック代表に選ばれた[3]。そのような事情もあって柔道のオリンピック代表選手で最も期待されておらず、マスコミにもほとんど注目されることがなかった。

しかしながらアトランタオリンピックにおいて、前回のオリンピックチャンピオンであるフランスのクリスティーネ・フローリ、前回のオリンピック2位であるイスラエルのヤエル・アラド、世界2位のオランダのジェニー・ハルといった有力選手を次々と破る快進撃を見せ、決勝においても1993年の世界チャンピオンであるベルギーのジェラ・バンデカバイエを内股一本で破り、見事金メダルを獲得した。 国際Aトーナメント大会に何度も出場しながら、一度も3位以内にさえ入ったことのない選手とは思えない活躍ぶりだった。

1998年8月、強化選手を辞退することによって第一線から退いた。

1999年には世界選手権65kg級で優勝したことのある韓国の金赫と結婚した[4]

主な戦績

受賞

  • 1996年度JOCスポーツ賞最優秀賞
  • 1996年度北海道 道民栄誉賞
  • 1996年度東京都 都民栄誉賞

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脚注

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外部リンク

テンプレート:柔道競技オリンピック金メダリスト女子軽中量級

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  1. 選手・監督のプロフィール : 恵本 裕子 | 三井住友海上
  2. 「ZOOM IN 素顔 恵本裕子」近代柔道 ベースボールマガジン社、1994年9月号、92-93頁
  3. 「第19回全日本女子柔道選抜体重別選手権大会」近代柔道 ベースボールマガジン社、1996年5月号 43-45頁
  4. <アトランタ・金>柔道 恵本裕子