後房雄

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後 房雄(うしろ ふさお、1954年 - )は日本の政治学者行政学者。現在、名古屋大学大学院法学研究科教授。

来歴

1977年、京都大学法学部を卒業後、1982年に名古屋大学大学院法学研究科博士後期課程を単位取得退学。大学院ではマルクス主義政治学の大家田口富久治教授に師事。同年名古屋大学大学法学部助手文部教官に任官。その後、助教授を昇格を経て、1990年に教授昇格。

専門はNPOやマルクス主義政治学、イタリア政治などで、「マルクス主義国家論の新展開と行政研究の視角」などの論文がある。

日本行政学会理事、日本NPO学会理事、1997年2004年、2006年~現在まで市民フォーラム21・NPOセンター代表理事も務める。

名古屋市政との関わり・発言

2009年4月の名古屋市長選では、河村たかし陣営のマニフェスト作成において中心的な役割を果たし、市長当選後に「市長の戦略チーム」として河村が立ち上げた諮問会議の事務局長に就いたが[1]、市長就任1ヶ月後に市経営アドバイザーを「一身上の都合」で辞任した[2]

その後は河村市長について「「庶民」をあおることだけうまいというポピュリスト」「真面目な関心などなく、毎晩焼酎を飲みながら選挙と陰謀のことばかり考えている人」と痛罵[3]、中日新聞の寄稿の中では「河村市長は議会との対立を演出するなど政治家としての資質は高いが、マニフェストにある政策を実行していく行政経営者としての資質は著しく低い」と述べている。また、「マネジメントの資質と関心がこれほど乏しい人が市長をやっていてよいのかという根本的な疑問がある一方で、次の市長選挙ではそれにもかかわらず勝ってしまうであろうというのが困ったところである。」とも述べている。[4]河村市長は小沢一郎から密かに支援を受けており 「それほど長く市長をやる気も無い」、そして「ありえない」「まさに支離滅裂」、「衰退過程に入った河村氏は、もはや橋下知事にとっての利用価値も低下していくことになります。」などと痛烈な批判を繰り返している[5]

2010年に政令指定都市で初の成立となった名古屋市議会リコール請求については、後の離反後に支援団体代表を務めていた鈴木望磐田市長(のちに衆議院議員)ら署名者側に「空前のいいかげんさでルール感覚が欠如し」明らかな犯罪行為があり「不成立は当然」と述べ[6]、河村の市長選への再出馬表明に対しては「選挙遊び」であり、「支持する人はまずいない」「焼酎を飲みながらの思いつきの作戦もそろそろ限界」とし、再出馬せず辞職するべきとの考えを示した[7]

著書

単著

  • 『グラムシと現代日本政治--「受動的革命」論の思想圈』(世界書院、1990年)
  • 『政権交代のある民主主義--小沢一郎とイタリア共産党』(窓社、1994年)
  • 『「オリーブの木」政権戦略--イタリア中道左派連合から日本政治へのメッセージ』(大村書店、1997年)
  • 『NPOは公共サービスを担えるか―次の10年への課題と戦略』(法律文化社、2009年)
  • 『政権交代への軌跡―小選挙区制型民主主義と政党戦略』(花伝社、2009年)

共著

編著

訳書

脚注

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外部リンク

  • 「副市長に民間人 直属の諮問会議も設置」『中日新聞』2009年4月27日
  • 朝日新聞2009年6月13日
  • 後房雄リコール詳報 [2010年11月25日(木)] 何のための選挙? [2010年11月15日(月)]
  • 河村市政1年の真実―内側から見た光と影-2010年04月26日中日新聞への寄稿
  • 後房雄「懲りない第3勢力論 [2010年12月09日(木)]」 「迷走 [2010年12月08日(水)] 」「「中京都」構想? [2010年12月05日(日)] 」
  • 後房雄リコール詳報 [2010年11月25日(木)]
  • 後房雄「選挙遊び [2010年11月26日(金)] 」