廈門市
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廈門市(アモイし、テンプレート:Lang-zh、テンプレート:Lang-en)は、中華人民共和国福建省南部に位置する地級市。日本を含め一部の国ではアモイ (Amoy) と呼ばれている。中華人民共和国の5大経済特区の1つであり、副省級市にも指定されている。華僑のふるさとの街としても知られる。
目次
市名
19世紀より、廈門は「アモイ (Amoy)」の名で国際的に知られていた。廈門の古い地名「下門」は、閩南語の漳州方言では白話字 (POJ) ローマ字表記で Ē-mûi と書くようにエームイと発音され(泉州方言では Ē-mn̂g エームン)、これがアモイに転じたと思われる。
「廈」と「厦」はともに「大きな家」を意味し、互いに異体字の関係にある。「厦」も古くからある字体であり、簡体字ではない。ただし、「厦」は俗字とされてきた。中華人民共和国では、簡体字の正式採用前の1955年に「第一批異体字整理表」が発表され、「廈」の字体は使用しないこととされた。よって、現代中国では「廈門」を「厦门」と表記する。
地理
福建省南部の九竜江河口付近に位置し、市内には廈門島や鼓浪嶼などの島嶼部が含まれる。廈門島や大嶝島から近い金門島、小金門島などは中華民国(台湾)の実効支配下にあり、台湾海峡を隔てて台湾に臨む。
歴史
晋代には晋安郡同安県が設置されていた。五代十国から宋代は泉州に属した。代の1387年(洪武20年)に廈門城が築かれて「廈門」という地名が初めて使用されている。明末清初には1650年(永暦4年)に鄭成功は廈門を本拠地とし思明州と命名、反清活動を行ったが、1680年(康熙19年)、この地を占領した清朝により思明州は廃止されている。1684年(康熙23年)の対外貿易を再開に際しては廈門は中国人商人による東南アジア貿易の拠点として繁栄し、また台湾の開発が進むにつれて台湾との貿易も増大した。
アヘン戦争では1841年(道光21年)にイギリス軍により占領され、翌年の南京条約によって外国人に対して開港、1860年代からは茶葉の積出港として海外に知られるようになった。1862年(同治元年)にイギリス租界が、1902年(光緖28年)には鼓浪嶼に共同租界が設置され、外国商社の商館が進出した。その後、廈門の茶葉は日本茶・台湾茶との競争にやぶれて衰退、また台湾との貿易も日本の台湾領有によって衰退した。一方で廈門出身者の海外移民が増加し、大東南アジア方面からの出稼者からの送金で廈門の経済は維持された。また20世紀になると東南アジア華人からの投資も始まった。1935年(民国24年)、市制が施行されたが、1938年(民国27年)には日本海軍が占領、1940年(民国29年)の汪兆銘政権成立後は廈門特別市が成立している。1945年(民国34年)8月の日本敗戦に伴い汪兆銘政権は崩壊、中華民国の行政権が回復したが、まもなく始まった国共内戦の結果、1949年10月に共産党軍によって「解放」されている。
中華人民共和国成立後は、1973年に同安県を統合、1997年には同安区を設置している。改革開放政策により、1981年に経済特区が設置され、主に対岸の台湾資本を集めて経済成長を遂げた。2000年には大規模な汚職事件が摘発され、200人以上が逮捕された。
中華民国(台湾)が実効支配している金門県との間に限定的な直接交流である小三通が認められている。
華僑の出身地として現在も東南アジア各国との交流が盛んであり、タイ、シンガポール、フィリピンが領事館を置いている。
行政区画
廈門市は以下の6市区によって構成される。
- 思明区 - 廈門島南部に位置し、市の心臓部である。人口73.6万人。
- 湖里区 - 廈門島北部に位置する。人口12万人。
- 集美区 - 市の中央部に位置し、廈門島とは廈門大橋、集美大橋、杏林大橋で連絡する。旧杏林区を併合。台商投資区が設置され、人口28万人。
- 海滄区 - 廈門島対岸に位置し、廈門島とは海滄大橋で連絡する。台商投資区が設置されている。
- 同安区 - 市域北部を占める。人口25万人。
- 翔安区 - 市域東部を占める。同安区の一部を分離。廈門島とは翔安隧道で連絡する。金門島から最も近い。
年表
- 1949年10月1日 - 中華人民共和国福建省廈門市が発足。(1市)
- 1952年8月12日 - 開元区・思明区・鼓浪嶼区を設置。(3区)
- 1954年3月4日 - 開元区の一部が分立し、禾山区が発足。(4区)
- 1958年1月7日 - 禾山区が開元区に編入。(3区)
- 1958年8月8日 - 晋江専区同安県を編入。(3区1県)
- 1958年8月 - 竜渓専区海澄県の一部が開元区に編入。(3区1県)
- 1966年8月25日(3区1県)
- 1968年9月14日 - 東風区・同安県の各一部が合併し、郊区が発足。(4区1県)
- 1970年2月17日 - 同安県が晋江専区に編入。(4区)
- 1973年6月5日 - 晋江地区同安県を編入。(4区1県)
- 1978年1月27日 - 郊区の一部が分立し、杏林区が発足。(5区1県)
- 1979年10月18日(5区1県)
- 1987年6月10日(6区1県)
- 1996年11月20日 - 同安県が区制施行し、同安区となる。(7区)
- 2003年4月26日(6区)
経済
廈門は経済成長率が高く、たとえば一人当たりのGDPが2007年は56,295元だったのが2008年には62,651元(9,200ドル)になるなど、中国国内では月給が高い都市である。そのため2020年には一人当たり20,000ドル以上になる可能性もある。交通インフラの整備も進んでおり、住宅地の再開発が進められ、町並みもきれいに整備されつつある。
気候
言語
廈門では閩南語の一種が話されている。台湾の本省人は明末から清代にかけて廈門・泉州方面から移住した者が多く、廈門で話される閩南語と台湾語は、一部の語彙を除いて基本的に同じ方言である。このため、台湾人との意思疎通が容易で、台湾からの投資が集中したが、近年では外部から流入した人口も増え、普通話も広く通用している。
交通
- 廈門高崎国際空港
- 廈門駅(鷹廈線、福廈線)
- テンプレート:仮リンク
- G324国道
- バス・ラピッド・トランジットが3本開通している。
- 梧村バスターミナル、湖濱南路バスターミナル など
- 国際郵輪中心碼頭、五通碼頭、輪渡碼頭など、旅客港を多数有する。
- 廈門港 - 世界50大コンテナ港のひとつ。
教育
観光
- コロンス島(鼓浪嶼)(日光岩、鄭成功紀念館など)
- 南普陀寺
- 普光寺
- 胡里山砲台
- 廈門園林植物園(万石植物園)
- 華僑博物館
- 集美学村
- 鰲園
- 中山路(繁華街)
- 篔簹湖、白鷺洲公園
- 廈門園林博覧苑(園博苑)
- 廈門沙彫刻文化園
- 台湾民族村
- 大嶝島、小嶝島
文化
廈門市の南音、高甲戯、歌仔戯、答嘴鼓、廈門漆線雕、中秋博餅、閩南童謡、海滄区の保生大帝信仰、思明区の講談は国家級非物質文化遺産(無形文化財)に指定されている。
文化芸術団体
- 廈門市金蓮昇高甲劇団 - 1931年成立。東南アジアの華僑にも名高い
- 廈門愛楽楽団
- 廈門小白鷺民間歌舞団
- 廈門芸術交響楽団
- 廈門南音社
- 廈門烏石埔、海滄油画協会
- 廈門呂塘民間戯曲学校
文化ホール
- 鼓浪嶼音楽庁
- 億力愛楽庁
- 宏泰音楽庁
- 廈門南音宮
- 廈門文化芸術中心
- 閩南歌劇院
- 廈門中華戯曲大観園
スポーツ
- 中国サッカー・スーパーリーグのプロチーム「廈門藍獅」の本拠地。廈門藍獅のホームスタジアムは、廈門市体育場。
- 廈門国際マラソン - 毎年1月に廈門島で開催。
姉妹都市
- テンプレート:Flagicon - ウェリントン(ニュージーランド)1987年
- テンプレート:Flagicon - カーディフ(ウェールズ)1983年
- テンプレート:Flagicon - カウナス(リトアニア)
- テンプレート:Flagicon - 佐世保市(日本)1983年
- テンプレート:Flagicon - 白糠町(日本)2001年 9月25日提携
- テンプレート:Flagicon - セブ(フィリピン共和国)1984年
- テンプレート:Flagicon - ペナン州(マレーシア)1991年
- テンプレート:Flagicon - ボルチモア(アメリカ合衆国)1985年