平井定武

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平井 定武(ひらい さだたけ)は、戦国時代武将六角氏の家臣。子に平井高明、娘は浅井長政の正室(先妻)。通称は加賀守。

生涯

近江国大名・六角氏の家臣である平井高好の子として誕生。

定武は、後藤賢豊蒲生賢秀三雲成持らと並んで六角氏の執政を支える六宿老と呼ばれ、近江国栗太郡平井(平居とも)に拠点を構えたとされる。 大永5年(1525年)の六角氏と浅井亮政との戦いでの出陣や、天文22年(1553年)11月の浅井氏との和議に関する書状、さらには石山本願寺への使者として派遣されたことが本願寺側の記録に見えることから、家中で重きを置かれていたことがわかる。また、六角氏に臣従した浅井久政の子・浅井賢政(のちの長政)の烏帽子親をつとめ、後に娘を長政の嫁に送り込んだ。しかし、六角氏の専横に怒った浅井家臣団が久政を廃して長政を擁立すると、娘は離縁され娘は平井家に送り返されたという。

永禄11年(1568年)、織田信長が近江に侵攻すると六角氏を離反して信長に降った(『言継卿記』)。以後の消息は不明である。

なお、『浅井氏家譜大成』によると、離別された娘は長政との間に浅井万福丸を産んだとされ、そのため定武は万福丸の外祖父にあたるとされる。