島津以久
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テンプレート:基礎情報 武士 島津 以久(しまづ もちひさ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。日向国佐土原藩の初代藩主。
生涯
島津氏の一族として島津義久から重用された。『豊臣鎮西軍記』に、島津右馬頭(うまのかみ)政久(まさひさ)とあり、肥後口の島津軍の大将格とされた。
天正6年(1578年)の耳川の戦いでは大いに活躍して武功を立てた。慶長8年(1603年)、関ヶ原の戦いで戦死した島津豊久の旧領である日向佐土原3万石を与えられ、その初代藩主となった。天下普請の命により篠山城建築に駆り出され、上洛中に病死(異説あり)した。この時、大雲院の住職に世話になったことから、佐土原藩島津氏は曹洞宗から浄土宗に宗旨替えした。跡を三男・忠興が継いだ。