岸洋子
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岸 洋子(きし ようこ、1935年3月27日 - 1992年12月11日)は、日本のシャンソン歌手、カンツォーネ歌手。本名:小山 洋子(こやま ようこ)。所属レコード会社はキングレコード[1]。
目次
人物
山形県酒田市出身。オペラ歌手を目指していたが心臓神経症のため、断念。病床で聴いたエディット・ピアフのアルバムに感動しシャンソンに転向。同じく日本のシャンソン歌手だった越路吹雪が“魅せる歌手”と呼ばれることに対して、岸は“聴かせる歌手”と呼ばれていた。
『夜明けのうた』『恋心』『希望』などヒット曲を連発する中、1970年に膠原病を発症。その後膠原病の後遺症と闘いながら歌手活動を続けていたが、57歳の若さで没した。
略歴
- 山形県立酒田東高等学校卒業。俳優・成田三樹夫とは中学・高校の同級生だった。
- 1958年:東京藝術大学大学院声楽専攻科修了、二期会研究生となる。
- 1961年:シャンソン歌手としてキングレコードと契約。
- 1962年:『たわむれないで』でレコード・デビュー。
- 1964年:『夜明けのうた』で第6回日本レコード大賞歌唱賞を受賞。
- 1969年:芸術祭優秀賞を受賞。
- 1970年:膠原病で倒れ入院・闘病生活を余儀なくされる。同年暮れ、『希望』で第12回日本レコード大賞歌唱賞を受賞するも、入院中のため授賞式には出席出来ず電話対応となった。
- 1971年:膠原病を一時克服、退院して再起。『希望』が第43回選抜高校野球大会の入場行進曲に採用される。
- 1983年:自叙伝『さくらんぼの楽譜』を出版。
- 1984年:歌手生活25周年記念リサイタルを開く。芸術祭優秀賞を受賞。
- 1992年:11月19日、自宅玄関で転倒し肋骨を骨折損傷、同時に膠原病の後遺症悪化による治療のため再入院。入院中も年末のディナーショーの準備を行い、当初同年12月12日に退院が決まっていた。しかし退院2日前の12月10日に意識不明の重体となり、翌12月11日に敗血症のため急逝。享年57。
代表曲
- 『恋心』
- 『想い出のソレンツァーラ』
- 『夜明けのうた』
- 『希望』
- 『わかっているの』
- 『私の回転木馬』
- 『マリネロ』
- 『黒い鷲』
- 『トワ』
- 『そして今は』
- 『笑わないで』
- 『愛は限りなく』
- 『アリヴェデルチ・ローマ』
- 『アル・ディ・ラ』
- 『ケ・サラ』
- 『コマン・サ・バ』
- 『ラストワルツ』
- 『アンデスの風になりたい』
- 『今宵あなたが聞く歌は』
NHK紅白歌合戦
年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1964年(昭和39年)/第15回 | 初 | 夜明けのうた | 08/25 | 立川澄人 | |
1965年(昭和40年)/第16回 | 2 | 恋心 | 13/25 | アイ・ジョージ | |
1966年(昭和41年)/第17回 | 3 | 想い出のソレンツァーラ | 08/25 | 立川澄人(2) | |
1967年(昭和42年)/第18回 | 4 | わかっているの | 11/23 | フランク永井 | |
1968年(昭和43年)/第19回 | 5 | 今宵あなたが聞く歌は | 17/23 | 春日八郎 | |
1969年(昭和44年)/第20回 | 6 | 夜明けのうた(2回目) | 10/23 | 坂本九 | |
1971年(昭和46年)/第22回 | 7 | 希望 | 05/25 | 西郷輝彦 |
(注意点)
- 対戦相手の歌手名の( )内の数字は、その歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
- 曲名の後の(○回目)は、紅白で披露された回数を表す。
- 出演順は「(出演順) / (出場者数)」で表す。