対人恐怖症
対人恐怖症(たいじんきょうふしょう、テンプレート:Lang-en)は、あがり症とも呼ばれる、神経症の一種である。他人の前での失敗経験などをきっかけに、人前で症状が出ることを極度に恐れ、他者の目の前で極度の緊張にさいなまれる。思春期にはよく見られ、軽いものは自然に治ってしまうものであるが、一方で社会的生活に支障をきたすほど対人不安が高まってしまう場合、神経症として治療が必要である。慢性化すると社交不安障碍、パニック障碍、ひきこもりなどの引き金となりかねない。
「恥の文化」を持つ日本において群を抜いて多く、日本で顕著な文化依存症候群とされ、海外においてもそのまま「Taijin kyofusho」と呼称されている。ただし、社交不安障害そのものは世界中で広く見られる。比較的軽度のものを「あがり症」や「舞台恐怖」、ひきこもりを伴うなど社会的生活に支障をきたすほど重度のものを「対人恐怖症」と呼ぶ傾向があるが、厳密に区別する定義はなく、その根本は同じと考えられる。よって本記事では同様の症状として扱う。
概説
個々の症例により、以下の通りさまざまに呼称されるが、それを包括するものである。症状も下記の通り分類すれば多岐にわたるが、どれも本質的には人前で症状が出ることを恥じ、不安に思うあまり、意識がその一点に集中し、逆に症状が悪化してしまうという仕組みにおいて同質である(神経症であるため身体には異常は無い)。中でも赤面症、表情恐怖症、視線恐怖症はよく見られる。
- 主な症状
- 赤面症(赤面恐怖症) - 人前で顔が赤くなっているのではないかと思ってしまう。
- 表情恐怖症 - 自分の表情が気になってしまう。
- 笑顔恐怖症 - 人前でひきつって自然に笑う事が出来ない。頬がぴくぴくと痙攣してしまう。自分の笑い顔が泣きべそをかいているように感じてしまう。
- 視線恐怖症 - 他人あるいは自分の視線を気にしてしまう。
- 他者視線恐怖症 - 他人の視線が気になってしまう。
- 例1:話している相手の目線が気になって自然に話せない。
- 例2:集団の中にいると全員から見られている気がしておちつかない。人とすれ違うときに相手から見られている気がする。
- 自己視線恐怖症 - 自分の視線の置き場に困る(例:バスや電車の車内など)。
- 正視恐怖症 - 自分の視線が相手を不愉快にさせてしまうのではないかと思い、相手を正視できなくなる。
- 脇見恐怖症 - 視線を向けてはいけないと意識するほど、そちらに視線がいってしまう。女性の脚に目がいってしまう、テスト中に隣の席を気にしてしまうなど。
- 他者視線恐怖症 - 他人の視線が気になってしまう。
- 醜形恐怖症 - 自分の顔だちや体が醜いと思い込み(実際にはそう醜くない場合も珍しくない)、過度の劣等感を抱え、うまく対人関係を築けない。
- 書痙 - 人前で文字を書くときに手が震えてしまう。
- 嫌疑恐怖症 - 周囲から自分が犯人だと疑われているのではないかと思ってしまう。
- 例1:スーパーで、周囲の人から自分が万引犯だと思われてしまっているのではないかと思う。
- 例2:満員電車の中で、周囲の人から自分が痴漢と間違われているのではないかと思ってしまう。
- 電話恐怖症 - 人ごみの中で電話する時、周囲の人から聞き耳をたてられているように感じ、うまく話せない。
- 会食恐怖症 - レストランなど、人ごみの中で落ち着いて食事をとる事が出来ない。
- 失語恐怖症 - 自分の言葉で相手を傷つけてしまっているのではないかと思い、自然に話せない。
- 雑談恐怖症 - 自信の喪失などによって、自分は会話が下手な人間だと思い込み、自然な会話が出来なくなる。これに陥った人の多くは、会話術などの本を読み漁ったりするが、根本的な原因は「自分は会話が下手だという思い込み」にある。
- 吃音症 - 人前でどもってしまう。
- 多汗症 - 人前で汗が異常に出てしまう。
- 体臭、口臭恐怖症(自臭症) - 自分の体臭がきつくて(実際には症状が出ていない場合も珍しくない)、人から嫌われてしまっているのではないかと思う。
- 唾恐怖 - つばきを飲み込むときの音が人前で気になってしまう。そう思うと余計に唾液が出る。空気嚥下症(呑気症)も参照。
- おなら恐怖症(放屁症) - 過敏性腸症候群のガス型を参照。上記の呑気症が拍車をかけていることも多い。
- 男性恐怖症、女性恐怖症
患者は、症状が嫌で治そうと意識すればするほど、症状が悪化してしまうという悪循環に苦しめられることになる。症状自体も恥ずかしいものであったり、「症状によって周囲の人に迷惑を掛けているのではないか」という罪悪感、思い込みから周囲の人に悩みを打ち明けられない人が多い。しかし、症状の克服にはその症状を受け止めてしまうこと、開き直ってしまうことが効果的である。治療は、精神療法では認知行動療法が中心である(社交不安障害も参照)。森田療法は大正時代からこの分野の草分けとして知られていた。
メカニズム
西洋社会において一般的な他人を傷つけるか、迷惑をかける、怒らせてしまう自分自身に対する自律的な恐怖より、むしろ、自身に対する攻撃や、社会的な不器用さのため他人によって非難されるといった他律的な恐怖という症状が見られる。ルース・ベネディクト的な、「罪の文化(guilty culture)」に対する、「恥の文化(shame culture)」の表出とも解される。
対人恐怖症についての理解のしかたはいくつかある。対人恐怖症は「対人場面で不当に強い不安や緊張を生じ、その結果人からいやがられたり、変に思われることを恐れて、対人関係を避けようとする神経症である」ともされる[1][2]。対人恐怖症の中でも、妄想的確信を抱く恐怖症を「重症対人恐怖症」もしくは「思春期妄想症」と呼ぶ人もいる。ただ、このような恐怖症は妄想を伴っているので、対人恐怖症には含めず、別のカテゴリーで扱ったほうがよいと考える人もいる[3]。
対人恐怖症の起きるしくみについて、西園昌久は、恥の心理と関係あるのか、恐れの心理と関係があるのかについて調べている。西園の研究によると、男子の場合は、周囲から圧迫を感じる漠然とした対人恐怖、あるいは視線恐怖がほとんどで、他者と対立する自己への不安がみられるという。それに対して女子の場合は、対人恐怖は視線恐怖、醜貌恐怖、赤面恐怖と関連しており、他人の目にさらされる自己の身体像へのこだわりがあるという[4]。
鍋田恭孝の分析では、自意識過剰を「私的自己意識」と「公的自己意識」という用語によって分けている。私的自己意識とは、内面、感情、気分などの他人から直接観察されない自己側面に注意を向けることである。公的自己意識とは、服装、容姿、言動など、他人に観察される側面にこだわることである。対人過敏性が正常範囲内であれば、周りからの評価や視線への(過剰な)気づかいは、公的自己意識が高まることによって生まれ、年齢が高まるとともに消失してゆく。それに対して、対人恐怖症患者は、自己評価のほうを低めて自己嫌悪感を抱いているにもかかわらず、こうあるべきだという高い自我理想を無理に示そうとして公的自我意識を強めることで、それらの乖離に悩んでいるのだという[5][6]。
外国での認知
米国精神医学会の診断マニュアルDSM-IV(精神障害の診断と統計の手引き)に対人恐怖症が日本における特異的な恐怖症として挙げられている(付録I 文化に結びついた症候群の文化的定式化と用語集の概説、の中の一項目)。日本における文化特異的な恐怖症であり、DSM-IVの社会恐怖とある意味で類似している。この症候群は、その人物の身体、その一部またはその機能が、外見、臭い、表情、しぐさなどによって、他の人を不快にさせ、当惑させ攻撃的になるという強い恐怖のことである。この症候群は、公的な日本の精神疾患の診断システムに取り入れられている[7]。
対人恐怖症およびあがり症であった主な著名人
出典
参考文献
- 高橋正臣、秋山俊夫、鶴元春、上野徳美『人間関係の心理と臨床』北大路書房、1995年