富澤清太郎

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テンプレート:サッカー選手 富澤 清太郎(とみさわ せいたろう、1982年7月8日 - )は、Jリーグ横浜F・マリノス所属のプロサッカー選手。ポジションはディフェンダー

来歴

幼少時から東京ヴェルディの前身に当たる読売日本サッカークラブの下部組織でプレー。

2001年、トップチームに昇格するも、レギュラー獲得には至らず。

2005年ベガルタ仙台期限付き移籍。仙台では定位置をつかみかけたものの、シーズン途中で右足腓骨骨折の重傷を負い、後半戦を棒に振った。

2006年、ヴェルディに復帰。前年の骨折が治りきっておらず3月に手術した影響でシーズン序盤は欠場したが、7月12日第27節の仙台戦で復帰。その後は徐々に出番を増やし、後半戦はスタメンに定着した。2007年土屋征夫の加入などもあり出番は流動的だったが、30試合に出場、J1昇格に貢献した。2008年は土屋と那須大亮がスタメンで固定されたため、ボランチやサイドバックとしての起用が多かった。2010年よりチームキャプテンを務めた。

2012年より横浜F・マリノスへ移籍。マリノスでは主にボランチとしてプレー。

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2001||rowspan="4"|東京V||24||rowspan="4"|J1||1||0||0||0||1||0||2||0 |- |2002||rowspan="3"|14||10||0||2||0||0||0||12||0 |- |2003||6||0||3||0||2||0||11||0 |- |2004||1||0||1||0||4||0||6||0 |- |2005||仙台||4||rowspan="3"|J2||14||0||colspan="2"|-||0||0||14||0 |- |2006||rowspan="6"|東京V||rowspan="6"|14||18||3||colspan="2"|-||0||0||18||3 |- |2007||30||1||colspan="2"|-||1||0||31||1 |- |2008||J1||25||1||6||0||1||0||32||1 |- |2009||rowspan="3"|J2||45||0||colspan="2"|-||1||0||46||0 |- |2010||31||2||colspan="2"|-||0||0||31||2 |- |2011||17||0||colspan="2"|-||2||0||19||0 |- |2012||rowspan="2"|横浜FM||rowspan="2"|27||rowspan="2"|J1||26||4||5||0||5||0||36||4 |- |2013||29||3||6||0||6||1||41||4 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始98||8||23||0||19||1||140||9 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行155||6||colspan="2"|-||4||0||159||6 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終263||14||23||0||23||1||309||15 |}

経歴

その他

  • 「カンペー」のあだ名は小学生時代につけられ、間寛平に似ていることに由来している。
  • ニンテンドーDSボンバーマン愛好者であり、遠征バスの中で通信対戦をよくやっている。ヴェルディ時代「ヴェルディの中では1番強い」と選手たちに言われていた。富澤はボンバーマンについて「サッカーに似ていて、奥が深い」と語っている。
  • マリノスのチャントでは「日吉のヒーロー、漢・富澤」と歌われている。

外部リンク

テンプレート:横浜F・マリノスのメンバー

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