安藤早太郎
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安藤 早太郎(あんどう はやたろう、生年不明 - 元治元年7月22日(1864年8月23日))は、新選組隊士。副長助勤。
略歴
三河国挙母藩出身。嘉永3年(1850年)に脱藩し、知恩院一心寺に入寺する。その後、文久3年(1863年)5月までに壬生浪士組に入隊していることが明らかになっており(5月25日に江戸幕府に提出された上書に連名している)、6月の新選組結成時には副長助勤に就任している。
池田屋事件では近藤勇隊に所属し、奥沢栄助や新田革左衛門と共に池田屋裏庭の防御に当たったが、逃亡を図る尊皇攘夷志士の猛攻を喰らい、深手を負う。その負傷がもとで、同年7月22日に逝去。墓は壬生寺と聞名寺にある。後に会津藩から別段金20両を賜った。
エピソード
- 紀州日置竹林派応心流の射術の遣い手であり、天保13年(1842年)には東大寺大仏殿西回廊での通し矢において、11,500本中8,685本を射通、当時の日本記録を樹立している。
- 剣術の流派は北辰一刀流で、南海太郎朝臣朝尊二尺五寸の刀を持っていた。文政9年(1826年)9月の銘。
- 文久3年12月、新選組隊士野口健司の切腹に際して介錯を行い、その足で八木家の餅つきを手伝った。
演じた俳優
外部リンク
- 南都大佛殿遠矢之図―奈良県立図書情報館 安藤の東大寺での通し矢の図。