安田南

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テンプレート:Infobox Musician 安田 南(やすだ みなみ、1943年11月14日 - 未詳)は、ジャズ歌手北海道札幌市生まれ。俳優座養成所(16期)中退。

来歴

中学の時、北海道から東京目黒区の区立中学校に転入する。同級生に佐藤信(劇作家・演出家)がいた。一人で演劇部を創設するなど、活動的な生徒であった。高校を卒業後の1961年、18歳でテレビ番組、勝ち抜きジャズボーカル部門に出演し優勝、世界一周をした実力派。1964年頃から米軍キャンプでもステージに立つようになり、ジョージ川口とビッグ4、鈴木勲トリオなどを経てフリーに。

ジャズの枠にとらわれない奔放・個性的な歌唱スタイルで、1970年代に熱狂的な人気を集めた。1974年から1977年まで4枚のアルバムを発表しているが、他の歌手と比べ残した音源は多くなく、「アングラの女王」の異名があった。

1971年、第三回中津川フォークジャンボリーのメインステージの安田南のライヴは、暴徒のため演奏中にステージを占拠されてぶち壊しになり、フォークジャンボリーは二度と開催されなくなった[1]

歌手活動以外でも、自由劇場黒テントを中心とした舞台出演・ラジオのDJ・エッセイの執筆などにマルチな才能を発揮した。西岡恭蔵の「プカプカ」(みなみの不演不唱)のモデルとも言われる[注 1]。また、写真家で、アルバム『Some Feeling』のジャケットを手がけた中平卓馬とは、恋愛関係にあった[2]

1972年には、若松孝二監督の映画『天使の恍惚』で、主要人物の「金曜日」役で出演が決まっていたが、撮影途中に突然行方をくらまして降板し、後任は横山リエがつとめた[3]。なお、同映画のサウンドトラックに収録されている「ウミツバメ Ver.2」は、クレジットでは横山の歌唱とされているが、演奏の山下洋輔は安田の歌声であると断言している[4]

音楽プロデューサーで、東京・下北沢のジャズバー『LADY JANE』オーナーの大木雄高は、安田を「ジャズのスタンダードを日本で初めて歌いこなした歌手」と評している[5]。親交のあった作家の瀬戸内寂聴も、歌手としての実力とともに、文才を高く評価していた[6]

1990年代以降、事実上引退していたが、2004年7月アルバム『Some Feeling』が27年ぶりにCDで復刻された。

映画評論家の梅本洋一が、2009年初めに安田の知人の森山大道(写真家)に、彼女の消息を聞いた所、「既に鬼籍に入っている」という返答であったという[7]。また、雑誌「ジャズ批評」2013年7月号の佐藤信のインタビューでも、「既に亡くなった」という旨の証言がなされているが[8]、正確な没年月日・死因等については不明である。

作品リスト

シングル

アルバム

オムニバス盤

  • 『おんがくぐーん! / 音楽の学校・音楽の劇場 vol.7』(1970) - 「センチメンタル・ジャーニー」(加藤直作詞 / 林光作曲)収録

参加作品

  • 岡林信康 『堕ちた鳥のバラード』(1970) - B面の「いくいくお花ちゃん」でコーラス参加

出演

舞台

自由劇場

  • おんなごろしあぶらの地獄(1969)
  • トラストDE -イリヤ・エレンブルグによる-(1969 - 1970)

演劇センター68/70(劇団黒テント)

  • 翼を燃やす天使たちの舞踏(1970)
  • 喜劇・阿部定=昭和の欲情(1973)

ラジオ番組

書籍

  • みなみの30歳宣言(1977, 晶文社)
  • FOR LADIES BY LADIES - 女性のエッセイ・アンソロジー(2003, ちくま文庫,エッセイ1篇収録)

出典・脚注

注釈

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出典

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参考文献

  • テンプレート:Cite web
  • 津野、369 - 371頁
  • 『ジャズ批評』2013年7月号、23頁
  • 『ジャズ批評』2013年7月号、63頁
  • 『「あん娘」のモデルは誰 - 西岡恭蔵作詞作曲「プカプカ」』朝日新聞 2011年2月26日
  • 瀬戸内、223 - 225頁
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  • 『ジャズ批評』2013年7月号、30頁

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