青山ほとり
青山ほとり(あおやまほとり)は東京農業大学の応援歌である。一般的に「大根踊り」の名で知られている。作詞・作曲は、1923年(大正12年)当時の東京農業大学高等科3年生であった市村正輝。
概要
東京農業大学(以下、「農大」と記す、旧称「大日本農会附属私立東京農学校」)は、1898年(明治31年)から1946年(昭和21年)まで渋谷・常磐松町(旧常磐松御料地、現在の渋谷区渋谷四丁目付近で青山学院の敷地)にキャンパスを構えており、この歌は同地にキャンパスがあった1923年(大正12年)に作られたことから、常盤松時代の農大と農業への誇りを北海道湯の川温泉付近の曲を取り入れながら歌われている。
大根踊り
青山ほとりは、大学関係者以外には「大根踊り」として知られている。これは、農大の応援団である東京農業大学全學應援團が大根を持って歌いながら応援を行うことに由来している。
大根を持って踊りながら歌うというスタイルは1923年(大正12年)の応援歌制定当初からあったものではなく、その始まりには以下の二説があり、どちらが正しいのかは現在では不明。
- 1932年(昭和7年)5月7日・8日に旧両国国技館で行われた関東学生相撲連盟大会での応援に際して始めたという説[1]
- 1952年(昭和27年)11月の戦後初の収穫祭(文化祭)が行われる際の収穫祭の宣伝方法として、当時の収穫祭実行委員会副委員長の加藤日出男が考案した説[2]
なお加藤は後に、労働青年の交流の場として「若い根っこの会」を創設したことでも知られている。
東京農業大学全學應援團が青山ほとりを踊る場合、使用する大根は葉付きのものでなければならないとされている。一度使用すると傷んでしまうため、使い回しは出来ない。そのため使用された大根は、見ていた観客へ無料での提供や団員達の食事に利用される。
そのほかにも、農大一高や農大二高、農大三高の併設校でも応援団によって歌い踊られている。
また、東京農業大学全學應援團という名前が示している通り、「全学」、すなわち全学生によって組織されることとなっており、かつては農大に入学した学生全員に対し青山ほとりの歌詞と踊り方を覚えさせていたが、現在は一部の学科を除き、覚えさせるということを行っていない。しかし、農大の象徴ともいえる存在であり、現在でも学生の飲み会から卒業生の結婚披露宴や葬式など、さまざまな場面にて歌い踊られている。とりわけ、農大卒業生の結婚披露宴では出し物として友人の農大卒業生による演技が定番となっており、常磐松時代の風景や農大健児の意気を歌った1番と農大生或いは農業従事者との結婚を勧める4番が主に歌い踊られる。
東京農業大学全學應援團による応援時や結婚披露宴での出し物など正式な場での踊りでは、当然、大根が使用されるが、正式な場での踊りではない場合、大根をビール瓶やペットボトルなどの棍棒状の物で代用して歌い踊る。
その他
- 現在でも農大の象徴として内外で有名。東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)では、全學應援團の応援を見るために来る観客もいる。
- 世田谷キャンパス内の常盤松会館1階にある東京農業大学生活協同組合の購買では、「青山ほとり」用に大根の形をしたビニール製のおもちゃが売られている。
- 1986年6月、歌のトップテンに小泉今日子が出演し「100%男女交際」を歌う際、バックダンサーとして東京農業大学全學應援團が出演し、青山ほとりを披露した。共演した小泉今日子は、その迫力に驚いたというエピソードが伝えられる。
- 東京農工大学は大学名が似ている(農業大学と農工大学)こともあり、農工大生がこの青山ほとりを踊れると誤解されることもあるが、当然ながら踊れない。
- 日本体育大学の応援スタイルである「エッサッサ」は、この「青山ほとり」に対抗して作られたという話がある。但し事実か創作かは不明。
関連項目
外部リンク
脚注
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