マルエーフェリー
テンプレート:Infobox マルエーフェリー株式会社(マルエーフェリー、英称:A-Line Ferry Co.,Ltd.)'は、鹿児島県鹿児島市泉町に本部を置く海運会社。本社は鹿児島県奄美市名瀬入舟町にある。旧社名は大島運輸株式会社。
目次
概要
奄美大島を拠点に事業を行う有村商事から分離[1]し、1953年(昭和28年)12月1日に設立。創業者は、与論島出身の有村治峯である。
船舶の運航を行う海運業を営んでいるほか、物流業などを営む関連会社も複数ある。
かつては、喜界島で路線バスの運行も行っていた[2]が、2010年10月に関連会社の奄美航空に譲渡された。 ※詳細は、#バス事業を参照。
かつて沖縄航路などを運航していた同業の有村産業(沖縄県那覇市、解散済)とは、創業者同士が親戚関係である。
沿革
※バス事業については、#バス事業を参照。
- 1953年(昭和28年)12月: 大島運輸株式会社を設立。
- 1956年(昭和31年) 4月: 鹿児島支店を開設。
- 1957年(昭和32年) 8月: 鹿児島 - 那覇航路を開設。
- 1958年(昭和33年) 9月: 鹿児島と奄美各島間の一般旅客定期航路事業免許を取得。
- 1962年(昭和37年) 3月:鹿児島 - 那覇航路を定期運航と。
- 1962年(昭和37年)10月: 東京支店を開設。
- 1963年(昭和38年) 5月: 東京 - 那覇間の定期航路を開設。
- 1964年(昭和39年) 5月: 東京と奄美・那覇間の一般旅客定期航路事業免許を取得。
- 1969年(昭和44年) 2月: 沖縄支店を開設。
- 1969年(昭和44年) 5月: 大阪支店を開設。
- 1970年(昭和45年) 5月: 資本金を9,700万円に増資。
- 1972年(昭和47年) 4月: 神戸事業所を開設し、神戸 - 奄美各島定期航路を開設。
- 1972年(昭和47年) 6月: 鹿児島航路を増船し複線化、鹿児島 - 奄美 - 与論航路に貨客船「ひかり」が就航。
- 1973年(昭和48年)12月: 資本金を3億400万円に増資。
- 1974年(昭和49年) 4月: 神戸 - 奄美諸島 - 那覇航路に貨客船「神戸丸」が就航。
- 1975年(昭和50年) 5月: 鹿児島 - 那覇航路をフェリー化、「エメラルドあまみ」が就航。
- 1976年(昭和51年) 2月: 資本金を3億3,500万円に増資。
- 1979年(昭和54年) 6月: 福岡営業所を開設する。
- 1979年(昭和54年)11月: 資本金を4億5,500万円に増資。
- 1981年(昭和56年) 7月: 阪神 - 那覇航路をフェリー化、「あかつき」が就航。
- 1983年(昭和59年) 7月: 大型旅客船「サンシャインふじ」が進水。
- 1985年(昭和60年) 4月: 組織改編を実施し、本部機構を鹿児島に配置。
- 1986年(昭和61年) 8月: 東京 - 奄美 - 与論 - 那覇航路に貨客船「ありあけ(初代)」が就航。
- 1987年(昭和62年) 5月: 東京 - 那覇航路がフェリー化。同時に志布志寄港を実施する。
- 1989年(平成元年) 5月: 鹿児島 - 奄美諸島 - 那覇航路に「フェリーあけぼの(初代)」が就航。
- 1992年(平成 4年)10月: 宮崎営業所を開設し、阪神 - 那覇航路が宮崎寄港を実施。
- 1998年(平成10年) 3月: 内航運送業許可を取得。
- 2005年(平成17年) 6月: 社名をマルエーフェリー株式会社に改称。
- 2007年(平成19年) 2月: 「フェリーたかちほ」(現:「たかちほ」)が漁船「幸吉丸」と衝突事故。
- 2008年(平成20年) 7月: 鹿児島 - 奄美諸島 - 那覇航路の「フェリーあかつき」が引退、代船として「フェリーあけぼの」が就航。
- 2009年(平成21年)11月: 「ありあけ」が転覆事故を起こし東京航路旅客運航を休止。
- 2010年(平成22年) 3月: 「ありあけ」事故により旅客運航を休止していた東京航路に代船「クルーズフェリー飛龍21」を中古で購入し再開。
- 2011年(平成23年) 6月: 鹿児島発那覇行き「フェリーあけぼの」が沖永良部和泊港入港時、防波堤接触、船底部浸水。
- 2012年(平成24年)10月: 鹿児島 - 奄美諸島 - 那覇航路の「フェリーなみのうえ」が引退、代船として「フェリー波之上」が就航。
航路
※斜字は寄港しないことがある。
- 東京 - 沖縄航路
- 阪神 - 沖縄航路
- 鹿児島 - 沖縄航路
特記事項
- 奄美大島名瀬港以外各離島とも使用港が外海と面していて天候などの影響を受けやすく、欠航しないまでも寄港地の変更や寄港しないこと(抜港)などの条件付き運航もあり荒天が予想されるときには大きな影響が出ることがある。
- 台風や冬場の季節風などによる荒天によって、欠航便が発生した後、運航再開時に臨時便や変則運航が設定されることがある。
- フェリーとして各離島間の物流の要として機能しているため、農繁期や引っ越し時期など貨物量が増加する時期は各離島経由する運航形態により各寄港地の停泊予定時間を超過し、遅延が寄港する度に加算され最終目的地で大幅に遅延することもある。
- 往復相互利用については以下の会社および区間で可能だが、船室の等級などによって適用されるものとされないものがある(一例として、鹿児島-奄美間と志布志-奄美間の料金は同一だが相互利用は不可)。
- 特例で鹿児島航路のみ初乗船日から一週間以内に最終目的地で下船する条件で二等旅客料金のみ途中下船が認められているため、奄美諸島などを周遊する旅行などで使用できる(購入は始発船会社で手続きは各船案内所で下船までに行う。運航船会社は基本的にマルエー、マリックスが交互日替わり運航)。
- 例:鹿児島(初日)船中泊→奄美(二日目)一泊→徳之島(三日目)一泊→沖永良部(四日目)一泊→与論(五日目)一泊→本部(六日目)一泊→那覇(七日目)
- 合鑑料金が航路によって違う[5]ほか、運賃の割引適用条件など、航路ごとに運賃体系が異なっている[6]。
- 年末年始の定期航路休航日を利用し、旅行会社主催の初日の出クルーズを実施している。また、関西航路では世界遺産となっている屋久島観光ツアーが不定期に催行され屋久島宮之浦港に臨時寄航した事が有るが、一般客は下船不可。
- 2009年7月22日の日食前後には世界中からの来島者を運送するため、鹿児島-奄美間は通常夜行運航便だが臨時の昼行便を運航するため該当区間のみピストン運航を行った。
船舶
ファンネルマークは、オレンジに赤丸の中に赤字でアルファベットの「A」が書かれ、余白は白色となっており、意匠の特徴であるアルファベットの「A」は本社が所在する奄美大島の頭文字に因んでいる[7]。また、喫水線上の船体塗装は上半分が白、下半分が青であるほか、船体側面中央には赤字で「A"LINE」のロゴマークが書かれるとともに、船首には3本の青線と赤丸の中に赤字でアルファベットの「A」が描かれている。なお、これらの意匠などは子会社の奄美海運が運航する船舶でも同じものを採用している。
船ごとの設備の違いから、利用できる客室等級が異なる。 テンプレート:-
竣工年月 | 総トン | 全長 | 全幅 | 型深さ | 出力 | 航海速力 | 旅客定員 | 造船所 | 船籍 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
クルーズフェリー飛龍21 | 1995年9月 | 9,225t | 167.00m | 22.00m | 17.25m | 12,000PSx2 | 22.5ノット | 92名 | 三菱重工業下関 | 那覇 |
琉球エキスプレス | 2002年5月 | 6,266t | 145.62m | 22.00m | 14.25m | 9,000PSx2 | 21.0ノット | 240名 | ヤマニシ | 名瀬 |
フェリーあけぼの | 2008年6月 | 8,083t | 145.00m | 24.00m | 14.50m | 8,250PSx2 | 21.0ノット | 682名 | 三菱重工業下関 | 奄美 |
フェリー波之上 | 2012年9月 | 8,072t | 145.00m | 24.00m | 14.50m | 8,250PSx2 | 21.0ノット | 707名 | 三菱重工業下関 | 奄美 |
たかちほ | 1990年2月 | 3,891t | 131.16m | 20.00m | 8.99m | 13,500PSx1 | 19.9ノット | RO-RO船 | ヤマニシ | 東京 |
※特記以外は全てフェリー。
- クルーズフェリー飛龍21(東京 - 沖縄航路)
- 旅客定員92名(1等、2等寝台、2等/有村産業運用時は272名)。
- 積載数:トラック131台、乗用車89台、コンテナ(10t)108個。
- 以前は有村産業の名古屋-大阪-那覇-先島-台湾航路に就航していたが、同社の航路廃止に伴う係留後、「ありあけ」(2代)座礁事故の代替として購入。
- 右舷側にのみ旅客用タラップと貨物用ランプウェイを装備しているため、接岸荷役作業は右舷側のみ。
- 琉球エキスプレス(阪神 - 沖縄航路)
- 旅客定員240名(1等、2等寝台、2等洋室、2等)。
- 積載数:トラック94台、乗用車72台、コンテナ(10ft)92個。
- 鉄道建設・運輸施設整備支援機構と共有。
- バリアフリー対応船。供食設備は自動販売機(レトルト・インスタント食品などを販売)のみとなっている。
- 旅客定員が少ないため、繁忙期などに予約が無い場合は乗船できないこともある。
- フェリーあけぼの(鹿児島 - 沖縄航路)
- フェリー波之上(鹿児島 - 沖縄航路)
- 旅客定員707名(特等、1等、2等寝台、2等洋室、2等)。
- 三菱重工が開発した「三菱空気潤滑システム(MALS)」を初搭載したフェリー
- 船形は、姉妹船にあたる「フェリーあけぼの」と基本的に同じで推進機関が1軸2機関のバリアフリー対応船。
- 二等寝台は鹿児島 - 沖縄航路としては初のシングルルームや交差二段ベット方式などのプライバシー重視の客室設計を行っている。
- 客室配置は上等級を減らし二等客室を増やしたため、旅客定員は増えているが、臨時席は基本設置していないため満席の場合、未予約乗船不可の可能性はある。
- たかちほ(RO-RO船、東京航路)
- 2007年5月1日、「フェリーたかちほ」から船名変更。運航業務は(株)新日本海事の委託。
引退した船舶
- エメラルドあまみ(鹿児島航路) - 1975年5月就航。引退後、改修を行い「フェリーあまみ(初代)」として奄美海運へ売却。
- あけぼの丸(鹿児島航路) - 1977年11月就航。1989年9月引退、フィリピンへ売却。Super ferry19として運航中。
- 波之上丸(3代)(東京航路) - 1980年5月就航、1994年6月に引退し日本国外へ売却。
- あかつき(阪神航路) - 1981年7月就航。
- ありあけ(初代)(東京航路) - 1986年7月就航、1995年9月に引退しフィリピンへ売却。テンプレート:仮リンクとして就航していたが、2009年9月6日午前3時(現地時間)ごろ、ダバオからマニラへの航路(ジェネラル・サントス・イロイロ経由)に就航中、サンボアンガ沖で沈没[8]。
- フェリーあけぼの(初代)(鹿児島航路) - 1989年9月就航、2003年2月に引退し、韓国の清海鎮(チョンヘジン)海運へ売却、「テンプレート:仮リンク」号として就航している。
- フェリーあかつき(「ニューあかつき」から改称)
1992年竣工、同年7月就航、2008年7月引退。6,412総トン、最大速力23.78ノット。旅客定員800名。
1992年7月、「ニューあかつき」として阪神航路に就航。2003年2月、「フェリーあかつき」に改名のうえ鹿児島航路に転配。2008年7月、「フェリーあけぼの」(2代)就航にともない引退、船籍をパナマに変更し谷山港に係船。ギリシャの船会社に売却したが金融危機により同社が倒産したため約半年間係留されたのち、日本のSHKグループが購入。「ゆうとぴあ4」へ船名を変更のうえ、グループ内の上海下関フェリーで2009年10月4日から下関 - 蘇州航路に週2便の貨物船として運航中[9][10]。
- ありあけ(2代)
1995年1月竣工、同年9月就航。7,910総トン、航海速力24.0ノット(最大24.93ノット)。
2009年11月事故により運航停止、事故現場にて解体[3]。
- フェリーなみのうえ(鹿児島航路)
1994年6月竣工、6,586総トン、速力21.5ノット、旅客定員804名。
「フェリー波之上」(2012年9月就航)と入れ替わりで2012年10月1日那覇発[11]で退役し韓国の清海鎮海運へ売却。客室追加などの改修を受けた後「テンプレート:仮リンク」として就航していたが、2014年4月16日午前、仁川から済州島への航路に就航中、観梅島沖で沈没(2014年韓国フェリー転覆事故)[12]。
- Ferry Sewol 1.jpg
フェリーなみのうえは日本で退役後、韓国へ渡りセウォルとなった
主なトラブル
「フェリーたかちほ」漁船衝突事故
「フェリーたかちほ」はかつて、大島運輸(マルエーフェリーの旧社名)の子会社「晴海汽船」(破産)が所有・運航していたが、1991年6月に1人乗り漁船と衝突事故を起こして相手漁船は大破し、船長が骨折するなどの重傷を負った。また、1999年5月16日にはプレジャーボートとの衝突事故を起こしている(この時は海上保安部に指摘されるまで衝突に気付いていなかった)。さらに、2006年4月には東京から那覇に向かう途中の四国・足摺岬沖において漁船との衝突事故を起こしている。
2007年2月9日に発生した幸吉丸の当て逃げ沈没事故では、同13日の那覇新港接岸後に船長が船首部を目視で確認したところ、衝突と見られる擦過痕を発見したため、会社(マルエーフェリー)を通して第十管区海上保安本部(以下、十管)へ通報した。
同社は同14日午前中、十管の事故加害船舶の調査中に衝突の事実を認めた(同社は、「気がつかなかった」だけで「当て逃げ」ではないと主張している)。同日午後、前日の那覇寄港時に十管へ提出していた同船の塗料サンプルと、被害船に付着した塗料が一致したことが確認されている。
15日午後、東京港有明フェリーふ頭に接岸後、海上保安庁と海難審判理事所が立ち入り調査を行った。同日夜に那覇新港へ向けて出港したが、17日夜に那覇新港に接岸後に十管は、業務上過失往来危険容疑で捜索し運航マニュアルなどを押収した(同日深夜には東京へ向けて出港の予定であったが、十管の捜索のために1往復分を欠航した。なお、22日まで那覇新港に停泊した後に通常運航へと復帰している)。
2007年6月7日、この事故で宮崎海上保安部は双方の見張りが不十分だったことが事故の原因と断定し、同船の元航海士と漁船の船長の2人を業務上過失往来危険などの疑いで書類送検したほか、貨物船の当直の配置が安全管理規定より少なかったとして、同社を内航海運業法違反の疑いで書類送検した。過失の内容として海上保安部は、漁船側には「定員を超過していた為、操業時に見張りを十分にしていなかったこと」、フェリーたかちほ側には「運航時に見張りを十分に行っておらず、運航体制にも不備があった事」を挙げている。
この事故で九州運輸局は同社に対し、見張り体制が不十分(当時の見張りが1人であったことが判明している)として安全確保を求める命令を出した。これに対し同社は、航行中は必ず乗組員2人以上による見張りを行うことや、全船舶が寄港する那覇港に「沖縄運航管理室」を新設し、運航管理室長(副運航管理者)という新たなポストを設けて乗組員の指導を徹底することなど、4つの改善点を盛り込んだ報告書を九州運輸局鹿児島運輸支局に提出した。
「ありあけ」横転事故
2009年11月に、東京から志布志に向かうフェリーが三重県沖で転覆した事故。
11月12日17時に東京港有明フェリーふ頭を出港し、風速15.3m/s、波高4.59m、波周期10秒の強い追い波の状況下で、2400トンの貨物を積み21ノットで志布志港へ航行中の「ありあけ」が、13日午前5時40分頃、三重県沖の熊野灘にて左舷後方から瞬間的に強い波を受けた。これにより右舷側に25度の傾斜が発生し船体が左に急旋回、その後一旦45度まで傾斜した後に、30度から35度程度の傾斜で推移した。左旋回で北北西に変針したことにより右舷側から風を受けるようになったことで一時は傾斜が25度程度まで回復したが、徐々に傾斜が急になった[13]。乗客7人、乗員22人は第四管区海上保安本部により全員救助されたが、船体はその後、同県御浜町にある七里御浜の200メートル沖合の浅瀬で座礁し、約90度傾き横転した[14]。
事故原因は、復原力が低下する追い風航行中に、左舷方から高波を受けて右舷側に25度の傾斜が発生したことで、固縛されていない積載コンテナが横滑りして固縛されていたコンテナや車両などに荷重が加わって固縛装置が破断して右舷側に積載物が寄り、これにより船体が左急旋回し、旋回中に第二波を受けて傾斜が40度を超えて完全に復原力を失ったことにあった[13]。
重油漏れを伴う事故となったため、座礁現場付近では漁業を取りやめるなどの被害が出た。地元では早期撤去を求める声が挙がった[15]。これに対し同社は現地で船体を四分割して撤去する意向を示した[16]が、周辺環境への影響を懸念する漁協は納得しなかった。交渉の結果[17]、損害の全額保証の明記、安全確認のために漁協が行う試験操業やサンプル調査に掛かる費用負担も盛り込んだ覚書を交わし、船体の撤去を開始した。順調に進めば2010年4月下旬に撤去完了の見込みであった[18]。しかし、2010年3月9日の悪天候の際に、船体を4分割する作業のため船体に入れていた切れ込み部分の金属疲労により、操舵室を含む船首部分など船体の半分近くが崩落した。部品や積荷などが流失し、一部は和歌山県の海岸まで漂着し、新たな漁業被害も発生した。撤去担当業者の深田サルベージは、船体が崩落を受け、撤去完了時期を当初の4月中から6月頃へ下方修正した[19]。最終的に撤去の完了は2010年12月24日までずれ込み、翌年1月4日より現場周辺での漁業は再開の運びとなった[20]。
2010年1月13日には、国土交通省九州運輸局局安全環境部長名で安全管理規定に従った船内巡視を徹底することや、貨物を固定するマニュアルを作成することなどを文書で指導された[21][22]。これに対しマルエーフェリーは乗組員による船内巡視を要領に基づき厳格に適用し、安全管理規定にコンテナを含めた作業基準を追加作成し、荒天予想される航海では予め固定が必要とされる車両への固縛は具体的に固縛方法を記し、各船舶に即した固縛マニュアルを作成し各船舶乗組員に周知徹底した旨、国交省九州運輸局鹿児島運輸支局を通じて提出した[23]。
この事故は、2014年に韓国で発生したセウォル号の事故と比較されることがある。事故の原因こそ異なれど、経緯が良く似ているとされ、また同じ造船所で建造され、そして同じ運航会社に所属するなど共通点は多く、乗客7名だけとはいえセウォル号と異なり死者が無く、船長は最後まで現場で指揮に当たり一番最後に救助されていることから、セウォル号の事故のあと、韓国で注目された[24][25]。
関連会社
- 奄美海運 - 鹿児島市から奄美群島へのローカル航路を運営。
- 有村商事 - 酒類、米穀・石油販売卸小売業者。マルエーグループの中核をなす。
- マルエー物流 - 荷役会社。那覇における船舶代理店。
- 第一海運 - 荷役会社。志布志、宮崎における船舶代理店。
- 大島輸送 - 荷役会社。鹿児島での荷役を担当。
- 大島産業 - 船舶用飲料品、船舶用品売買業。
- 奄美航空(奄美航空ツーリスト) - 空港における地上業務受託、旅行業、宿泊施設運営のほか、喜界島での路線バス事業を行なう(後述)[26][27]。
バス事業
かつて、奄美群島の喜界島において路線バス事業を行っていた。同事業は1975年、東亜国内航空から譲受[28]し当社にて直営していたが、2010年10月から関連会社の奄美航空(奄美航空ツーリスト)に移管された[27]。
バス路線
路線バスは、北本線、南本線、中央線の3路線がある[29]。
- 北本線
- 湾営業所 - 空港前 - 中熊 - 志戸桶 - 浦原 - 荒木 - 空港前 - 湾営業所
- 南本線
- 湾営業所 - 空港前 - 荒木 - 浦原 - 志戸桶 - 中熊 - 空港前 - 湾営業所
- 中央線
- 湾営業所 - 空港前 - 中熊 - 滝川 - 川嶺 - 空港前 - 湾営業所
参考文献
- 日本船舶明細書I 2008年版 - 社団法人 日本海運集会所(2007年12月30日発行)
脚注
関連項目
- マリックスライン - 同じ区間を運航する鹿児島市の船舶事業者。
- リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件 - 指名手配され逃亡中の容疑者の逮捕に社員が貢献(電話にて警察に通報)し、公的懸賞金が分配された。
外部リンク
テンプレート:鹿児島港発着の航路テンプレート:Asbox- ↑ 『にっぽん全国たのしい船旅2013-2014』 p.100 「にっぽん航路史」 イカロス出版(イカロスMOOK、2013年8月発行)ISBN 9784863207448
- ↑ 鹿児島県公式サイト内の資料を参照。
- ↑ 3.0 3.1 「ありあけ」の海難について及び運休のご案内 - マルエーフェリー(2009年11月13日付、同日閲覧)
- ↑ 「飛龍21」の営業航海への就航について - マルエーフェリー(2010年3月15日付)
- ↑ 東京航路のみ、自動二輪車に750cc以上の区分があるほか、特等料金を支払うことで1等船室の貸切利用が可能である。
- ↑ 運賃表 - マルエーフェリー・奄美海運
- ↑ 新造船情報 その24 煙突 - マルエーフェリー
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 下関/蘇州航路に10月から“ゆうとぴあ4” - Web CRUISE(海事プレス社、2009年8月7日付、同年11月13日閲覧)
- ↑ 下関/蘇州(太倉)フェリー航路運航 船舶およびサービス変更について(プレスリリース) - 上海下関フェリー(2009年8月4日付、2010年1月10日閲覧)
- ↑ http://www.aline-ferry.com/news4.html
- ↑ 韓国で沈没の旅客船、2012年9月まで鹿児島で運航 - 朝日新聞 2014年4月17日
- ↑ 13.0 13.1 フェリー大傾斜事故の再発防止対策について 国土交通省
- ↑ 三重県沖、フェリーから救助要請 乗客7人は全員救助 - 47NEWS(共同通信社、2009年11月13日付、同日閲覧)
- ↑ 座礁船の撤去、めど立たず 貨物が漂流 三重沖のフェリー事故テンプレート:リンク切れ - MSN産経ニュース(2009年11月22日付、2010年1月10日閲覧)
- ↑ 【フェリー横転】社長「現場で解体」船内なお重油300キロリットルテンプレート:リンク切れ - MSN産経ニュース(2009年11月26日付、同29日閲覧)
- ↑ 熊野灘のフェリー座礁:漁協側、会社案に納得せず 12日までに回答要望 / 三重テンプレート:リンク切れ - 毎日jp(2010年1月8日付、同月10日閲覧)
- ↑ 座礁フェリー、現場解体で合意 損害全額保証を明記/三重テンプレート:リンク切れ - 中日新聞(2010年1月15日付)
- ↑ 座礁フェリー無惨な姿 船体バラバラ、撤去「6月末までに」テンプレート:リンク切れ - 産経MSN(2010年3月30日付)
- ↑ 御浜町沖、座礁フェリー撤去完了 来月4日から漁再開 三重- 産経MSN(2010年12月28日付、同1月7日閲覧)
- ↑ 国交省/マルエーフェリーに貨物の固縛マニュアル作成を指示 - LNEWS(ロジスティクス・パートナー、2010年1月14日付、同月24日閲覧)
- ↑ 「輸送の安全確保に関する指導」について(重要なお知らせ) - マルエーフェリー(2010年1月13日付)
- ↑ 「輸送の安全確保に関する指導」に対する改善措置報告について(重要なお知らせ) - マルエーフェリー(2010年2月1日付)
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 会社概要 - 奄美航空(2010年11月1日閲覧)
- ↑ 27.0 27.1 喜界バス、奄美航空へ事業譲渡 - 南海日日新聞(2010年10月2日付、同年11月1日閲覧)
- ↑ 喜界町のあゆみ - 喜界町 ※同サイトでは東亜航空とあるが、同社は1971年に合併して東亜国内航空になっている。
- ↑ 路線バス(島バス) - 喜界島ナビ.com(ポータルサイト、2010年11月1日閲覧)