國松善次
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テンプレート:政治家 国松 善次(國松 善次、くにまつ よしつぐ、1938年 4月1日 ‐ )は、びわ湖夢王国国王。日本の元政治家。滋賀県栗太郡(現在の栗東市)出身。滋賀県立草津高等学校、滋賀県立短期大学農業部卒業後、大阪府庁入庁。その後中央大学法学部通信教育課程を卒業。
経歴
- 1959年4月—大阪府庁に入庁
- 1976年4月—滋賀県庁に入庁
- 1982年4月—総務部広報課長
- 1984年4月—商工労働部付参事(東京駐在)
- 1985年4月—東京事務所長心得
- 1986年4月—教育委員会事務局文化部長
- 1987年4月—県立近代美術館長(兼務)
- 1989年4月—厚生部次長
- 1991年4月—健康福祉部次長
- 1992年4月—理事(レイカディア振興財団常務理事)
- 1993年4月—健康福祉部長
- 1996年8年—総務部長
- 1998年3月—滋賀県庁を退職
- 1998年7月—滋賀県知事(第7代)
- 2011年9月—びわ湖夢王国(障害者支援NPO法人「夢・同人」主催イベント)初代国王
功績など
- 1998年より2006年まで滋賀県知事(2期)。98年の知事選では保守陣営が三分裂し、革新系候補も併せて四人が立候補する激しい選挙戦となったが、稲葉稔前知事の後継指名を受けた国松が初当選を果たした。中央官僚出身ではなく県庁職員出身の知事ということで期待されたが、結果として中央志向が強い知事であったという評価がなされている。任期中の主な功績には琵琶湖での外来魚リリース禁止の条例成立(2002年)や福祉制度の整備などがある。
- 知事用の公用車にハイブリッドカーの導入や電車通勤を試みるなどの環境問題に対する意識が高く、自転車で琵琶湖を一周することが年に一度の楽しみであるとしている。
- 3期目を目指して立候補した2006年7月2日に行なわれた滋賀県知事選挙の結果、新人でかつての同僚でもあった嘉田由紀子に敗れ、落選した。任期中大きな失政があったわけではなかったが、自身の地元栗東に建設される予定だった東海道新幹線南びわ湖駅建設問題が知事選の最大の争点としてクローズアップされ、新駅建設推進の姿勢への批判が高まり、落選につながったとされる。2006年7月19日退任。
- 2007年1月13日に鳥取県米子市の米子コンベンションセンターで開催された「Japan・sea福祉フォーラム7inとっとり」のシンポジウムでは障害者自立支援法の内容を批判した。
- 若いころ、スポーツにまったく縁がなかった。ふとしたきっかけから長距離の大会に出場し、走る楽しさを知り、70歳を過ぎて「フルマラソン」(東京マラソン)完走を果たした。