可睡斎
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可睡斎(かすいさい)は、静岡県袋井市久能にある曹洞宗の寺院で寺紋は丸に三つ葵である。山号は萬松山。本尊は聖観音(しょうかんのん)。江戸時代には「東海大僧録」として三河国・遠江国・駿河国・伊豆国の曹洞宗寺院を支配下に収め、関三刹と同等の権威を持った。遠州三山の1つ。
歴史
室町時代初期、応永年間(1394年 - 1428年)に恕仲天誾(じょちゅうてんぎん)禅師によって開山された。
徳川家康が、幼い頃武田信玄の軍から逃れ父と共に匿われた礼に訪れた際、席上で居眠りをする仙麟等膳和尚(第11代)を見た家康は「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚 、眠るべし」と言い、以来和尚が「可睡和尚」と呼ばれたことから、いつしか本来東陽軒であった寺の名も可睡斎となった。家康が父と共に隠れたとされる洞窟は六の字穴として今も残っている。
1873年(明治6年)、秋葉山(あきはさん、静岡県浜松市)の神仏分離に伴い三尺坊大権現(さんしゃくぼうだいごんげん)が遷座され火防災除の寺ともなった(由来は秋葉山本宮秋葉神社の項を参照)。また春先のユリや初夏の牡丹が美しい寺。修行道場として僧堂を設置している。