イスラエル王国
イスラエル王国(ממלכת ישראל)は、紀元前1021年頃の古代イスラエルに成立したユダヤ人王国。イスラエルという国名は、ユダヤ民族の伝説的な始祖ヤコブが神に与えられた名前にちなんでいる。
目次
概説
当初はイスラエル・ユダ連合王国、あるいはヘブライ王国とも呼ばれる統一王国であったが、後にユダ王国(南王国)が分離したため、分離後のイスラエル王国は北イスラエル王国あるいは北王国ともいわれる。イスラエル王国というとき、統一王国と分裂後の北王国の両方を指すため注意を要し、区別のために連合王国・北王国と呼び分けることも少なくない。以下、旧約聖書「列王記」に描写されるイスラエル王国の歴史を紹介する。
預言者アヒヤはソロモン王死後の王国の分裂を預言した。後継者争いの中で身の危険を感じてエジプトに逃れていたヤロブアムは、イスラエル王国内の不満分子にかつがれる形でイスラエルへ戻ってきた。
ヤロブアムや各部族の代表たちは、ソロモン王の後継者レハブアムに謁見して重税と賦役の軽減を願ったが、にべもなくはねつけられた。これに不満を覚え、諸部族がレハブアムに叛旗をひるがえした。抵抗を受けたレハブアムはエルサレムに逃れ、部族連合にかつがれたヤロブアムはイスラエルの新しい王ヤロブアム1世として、シケムで王位についた。これが北王国(イスラエル王国)である。
12部族のうち、10部族がヤロブアムを支持し、レハブアムのもとに残ったのはユダ族とベニヤミン族だけであった。レハブアムから南王国(ユダ王国)が始まる。2つの王国は60年にわたって争い、ヨシャファトがアハブの娘アタリヤと結婚したことで同盟が成立したが、アハブ王家はイエフのクーデターにより断絶し、イエフがイスラエルの王となった。
イスラエル王国の歴史
統一王国の成立
長らく王政をとらなかったイスラエルの最初の王はサウルであった。サウルは12部族の中から選ばれたが、中央集権的というより部族長を中心とする寡頭政治のリーダーであった。
ダビデの時代
サウルが王国建設途上で挫折した後を継いだダビデは、ペリシテ人を撃破するなど軍事遠征を成功させ、近隣王国と友好同盟を結び、イスラエルをその地方の強カな勢力に作り上げた。その結果、ダビデの権力はエジプトや紅海の境界からユーフラテスの川岸にまで広がっていった。つまり、北はダマスカスから南はアカバ湾にいたる地域を確保し、エルサレムを王都に定めてイスラエル王国の礎を築いた。
国内でもダビデは新しい統治を始めた。イスラエルを構成する12部族を1つの王国に統一し、エルサレムと君主政治を民族の支柱においた。聖書の言い伝えでは、ダビデには多彩な才能が備わっていたようである。彼の詩の才能、音楽の才能などは、「ダビデの作」と言われている詩篇の中にうかがうことができる。
また、当時の国際情勢としては、前1200年のカタストロフの影響によって当時の大国であったヒッタイトが滅亡、エジプト[1]およびアッシリア[2]、バビロニア[3]が揃って衰退期を迎えていた。これらの大国に囲まれる位置にあった歴史的シリアの地域には、大国の同時衰退によって権力の空白地帯が生じたため、大国の干渉を受けることなく多数のアラム人などの小国が誕生した[4]。イスラエル王国もそのような状況下で誕生した新興国の一つである。
ソロモン王の時代
ソロモン王は、父ダビデが築いた国を継承し、その王国をより強大にするためにもっぱら努カした。近隣王国と条約を交わし、政略結婚を重ねて自国を強国に育てあげた。とりわけエジプトに対しては、終始礼を尽くし属国として振る舞い、ファラオの娘を娶ることで良好な関係を築いた。
ソロモン王は外国との交易を広げ、銅の採鉱や金属精錬など大きな事業を進めて国の経済を発展させ、統治システムとしての官僚制度を確立して国内制度の整備を行った。また、大規模な土木工事をもって国内各地の都市も強化している。フェニキアの技術を導入してエルサレムに壮麗な神殿(エルサレム神殿)を建立したことでも有名である。これはユダヤ人の民族生活、宗教、生活の中心となった。旧約聖書のなかの『箴言』と『雅歌』は、かつてソロモン王の手によるものと考えられていた。しかし、晩年はユダヤ教以外の信仰を容認するようになり、これがユダヤ教徒の厳格派から偶像崇拝と批判されることで、ユダヤ教徒と他の宗教信者との宗教的対立を誘発。国家分裂の原因の一つにまでなっている。
王国の分裂
ソロモン王の長い統治は経済的繁栄と国際的名声をもたらしたが、統一王国という支配体制は一般民衆の不満からほころぶことになった。人々はソロモン王の野心的な事業のために重税と賦役をになわされていたのである。またソロモン王が自分の出身部族を優待したことも他の部族を慣概させ、君主政治と部族分離主義者との対立が次第に大きくなった。
紀元前922年ごろのソロモン王の死後、部族間の統制を失った統一イスラエル王国は北王国として知られるイスラエル王国と南王国として知られるユダ王国に分裂した。
イスラエルが分裂した原因は、人々の間での富の偏在を避けることが出来なかったこと、国庫財政の悪化から租税強化や大規模土木工事によって生じる強制労働の重圧を敷いたこと、さらに大規模土木工事等によって生じる利権からの政治腐敗、などがあげられる。いわば王国に内在していた矛盾がソロモン王の死とともに一気に噴出して、南北の2国に分裂することになったのである。
分裂後
統一イスラエル王国の最大版図は、地中海沿岸のフェニキア人都市国家群を除けば34000平方kmほどで、うち24000平方kmほどがイスラエルの10部族に引き継がれた。最初の首都はシケムであったが、後にティルツァをへてサマリアに落ち着いた。サマリアは、北王国がアッシリアの軍靴に踏み潰されるまで首都でありつづけた。
人口の点でも耕地面積においてもイスラエル王国はユダ王国をしのいでおり、経済的にも優位に立っていたが、多くの部族を抱えたイスラエル王国は、反ユダ王国感情によってまとまっているにすぎず、きわめて不安定でクーデターが頻発し、王朝はたびたび交代した。また、分裂直後からアッシリア帝国の猛威に晒され続けた。ヤロブアム2世時代にもっとも繁栄したが、その後は凋落した。預言者アモスはモラルの低下を鋭く弾劾したが、凋落に歯止めがかかることは無かった。
滅亡
末期には王が相次いで家臣に殺害され、殺害した家臣が王位に就くという下克上的な政情不安が相次ぎ、アッシリアの侵攻は激しさを増していく。サマリアはアッシリア王シャルマナセル5世の包囲に耐えていたが、シャルマナセル5世の死後王位に就いたサルゴン2世の猛攻によって紀元前722年に陥落し、19代の王の下に253年にわたって存続した北王国は終焉を迎えた。10支族の民のうち指導者層は連れ去られ、あるいは中東全域に離散した。歴史の中に消えた彼らはイスラエルの失われた10支族とも呼ばれるが、10支族の全員が連れ去られたわけではなかった。
北王国滅亡後、アッシリアの植民政策により、サマリア地方に多くの非ユダヤ人が植民した。サマリアには10支族の民のうち虜囚にされなかった人々が多く残っていたが、彼らは指導者層の喪失や、サマリアに来た異民族との通婚によって10支族としてのアイデンティティを喪失した。サマリアは正統派のユダヤ人から異民族との混血の地として軽侮されることになる。
歴代の王
年号はウィリアム・オルブライトによる。年号はすべて紀元前である。分裂後、北王国の王はイエフを除くと暴君か暗君しか王位に就いていないと旧約聖書は述べているが、史実の事績とはかなり異なっている王も少なくない。
- 1021年 - 1000年 サウル - イスラエルの最初の王
- 1000年 イシュボシェト - サウルの子、暗殺される。(サムエル記下 4:7)
- 1000年 - 962年 ダビデ
- 962年 - 922年 ソロモン - ダビデがバト・シェバとの間にもうけた子。
- 922年 レハブアム - イスラエル王国から分離したユダ王国の最初の王になる。
イスラエル王国とユダ王国に分裂
- 922年 - 901年 ヤロブアム1世
- 901年 - 900年 ナダブ - 暗殺される。(列王記上 15:28)
- 900年 - 877年 バシャ
- 877年 - 876年 エラ - 家臣ジムリの手で暗殺される。(列王記上 15:28)
- 876年 ジムリ - 主君エラを討ち、7日間王位にあったが、進撃してきた武将オムリの前に死ぬ。
- 876年 - 869年 オムリ
- 869年 - 850年 アハブ - 妻はイゼベル。旧約聖書では北王国随一の暴君とされる。
- 850年 - 849年 アハズヤ
- 849年 - 842年 ヨラム
- 842年 - 815年 イエフ - 旧約聖書では北王国唯一の名君とされる。
- 815年 - 801年 ヨアハズ
- 801年 - 786年 ヨアシュ
- 786年 - 746年 ヤロブアム2世 - イスラエル王国の絶頂期。
- 746年 ゼカルヤ - 家臣シャルムの手で殺害される。(列王記下 15:10)
- 745年 シャルム - ゼカルヤを殺害して王位につく。
- 745年 - 738年 メナヘム
- 738年 - 737年 ペカフヤ - 侍従ペカの手で殺害される。(列王記下 15:25)
- 737年 - 732年 ペカ - 家臣だったホシェアに暗殺される。(列王記下 15:30)
- 732年 - 722年 ホシェア - イスラエル王国最後の王。侵攻したアッシリア軍に一度は従順を誓うも、密かにエジプトと結ぼうとしたためアッシリアによって牢に入れられた。(列王記下 17:4)
関連項目
出典
参考文献
佐藤次高編 『世界各国史8西アジア史Iアラブ』 山川出版社、2002年 ISBN 4-634-41380-9
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