労働党 (イスラエル)

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シェリー・ヤヒモビッチ

イスラエル労働党(イスラエルろうどうとう、テンプレート:Rtl-lang ミフレゲット・ハ‐アヴォダ・ハ‐イスラエリート)は、イスラエル政党党首イツハク・ヘルツォグ(第16代)。

概要

社会主義インターナショナル加盟。20世紀初頭からパレスチナへのユダヤ人入植を先導してきた政治勢力である労働シオニズム(社会主義シオニズム)の流れをくみ、建国後も長きにわたり与党として社会を主導してきた、イスラエル建国エスタブリッシュメント政党。パレスチナとの融和・共存を掲げる中道左派。新政党カディマ結成前は右派のリクードと並ぶ、イスラエルの二大政党の一つ。同党の首相経験者は国防相を兼任する慣習がある。軍部の出身者が多く、バラック党首は元参謀総長である。シモン・ペレス元首相など3人の議員が労働党を離党してカディーマへ移った。

2009年現在、ベンヤミン・ネタニヤフ(リクード)政権の連立与党である。イツハーク・ラビン首相が陣頭指揮を執った1992年の総選挙では驚異の44議席を獲得するものの、ラビンが1995年に暗殺されて以来、同党は衰退の一途をたどっており、1996年の総選挙では34議席に減少、1999年には政権を奪回するものの26議席に減少、2003年には議席を更に下回り19に、2006年でも横ばいの19議席となった。2009年2月に実施された総選挙では、世論調査などから議席を一桁にまで減少させると見られていたが、2008年12月27日からのガザ侵攻で支持を伸ばし、13議席を獲得して議会第四党となった。同年選挙後、首相に指名されたネタニヤフと政策合意を交わし、党員投票の結果、賛成680対、反対507で執行部側が勝利したことにより同政権への参画を決定[1]

しかしながら政権への参画は、右派との強調を良しとしない党内の急進左派との間に軋轢を生む。党首のバラックは国防相として留任するものの左派との対立はその間に先鋭化し、2011年1月、ネタニヤフ政権との協調を優先するバラックやマタン・ヴィルナイ副国防相ら5人は同党を集団離党し、新党・「独立」の結党に踏み切る[2]

2013年1月22日クネセト総選挙では「独立」の分裂でひと桁にまで減らしていた議席を15まで回復したが、選挙後はネタニヤフ政権に加わらず、最大野党となった。

政策

労働党は、建国以来長らく政権を担ってきた。その中で、キブツなどを重視した社会主義的政策が労働党の中核でもあった。ところが、前述のとおり21世紀を迎えて以降は右派と協調することも多くなり、その中で右派政権の新自由主義政策を追認することもあった。ただ、ヤヒモビッチが党首になってからは、イスラエル国内で急速に増加しているワーキングプアについて警告するなどしており、今後、再び左派政党としての存在感を高められるかどうかが焦点となっている。

党首

脚注

  1. Labour backs Netanyahu coalitionBBC・NEWS,2009年3月24日
  2. Barak: New faction to be 'centralist, Zionist, democratic'JERUSALEM・POST,2011年1月17日

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