内田勇三郎
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内田 勇三郎(うちだ ゆうざぶろう、1894年12月15日 - 1966年11月18日)は、日本の心理学者・心理検査開発者。
鳥類学者である内田清之助は実兄、魚類学者の内田恵太郎は従兄弟にあたる。
人物
クレペリンの作業曲線のアイデアとクレッチマーの性格類型論を結びつけた性格理論を提唱し、それに基づいた内田クレペリン精神検査(クレペリン検査)を開発した。内田クレペリン精神検査の販売と実施・判定を中心に、幅広い心理学関連業務を行っている日本・精神技術研究所(1947年創設)の創設者。
学歴
- 大正5年(1916年) 第六高等学校(岡山)卒業
- 大正10年(1921年) 東京帝国大学文学部心理学科卒業
- 昭和37年(1962年) 文学博士(大阪大学)論文の題は 「臨床心理学的一方法としての内田クレペリン精神検査」[1]
職歴
- 大正10年(1921年) 財団法人協調会産業能率研究所勤務
- 大正12年(1923年) 東京府立松沢病院嘱託
- 大正14年(1925年) 第五高等学校(熊本)講師
- 昭和3年(1928年) 文部省体育研究所勤務、法政大学講師
- 昭和6年(1931年) 早稲田大学講師
- 昭和14年(1939年) 早稲田大学辞職
- 昭和22年(1947年) 日本・精神技術研究所所長
- 昭和25年(1950年) 東京高等獣医学校教授
著作リスト
参考文献
戸川行男、外岡豊彦、内田純平編 『心理学者内田勇三郎のしごと』 日本・精神技術研究所、1983年
外部リンク
脚注
- ↑ 博士論文書誌データベース