装甲兵員輸送車
装甲兵員輸送車(そうこうへいいんゆそうしゃ、Armoured Personnel Carrier, APC)は、車内に人員を乗せて走行する軍用車両。歩兵を載せることが多いため装甲兵員輸送車と訳されるが、文民を乗せることもあることや原語のPersonnelから、装甲人員輸送車と訳されることもある。類似する歩兵戦闘車(IFV)が積極的な戦闘参加を想定している事に対し、装甲兵員輸送車(APC)はあくまで輸送が主任務である。
概要
自動車が発明されると、これを軍事利用しようという動きが生まれた。例として、日露戦争においては大日本帝国陸軍第3軍に自動車を有する輜重部隊、独立自動車第113大隊があった。
また、第一次世界大戦のマルヌ会戦においてフランス軍はパリ市のタクシーをすべて徴用することで迅速な兵員輸送を行うことに成功し、ドイツ軍を撃退している。
前者の例は補給部隊の効率向上策だが、後者の例では前線近くまで兵員を輸送しており、鉄道の無いところに騎兵以外の部隊を迅速に投入できるという利点を認められた。これにより第一次大戦以降、各国軍は自動車で移動する自動車化歩兵部隊を創設するようになる。用いられたのは装甲のない大型軍用トラックであり、巻き込まれる場合を除いて砲火を交える戦場に自動車が入り込むようなことは想定されていなかった。これは、自動車はあくまでも前線までの移動手段で、戦闘地域の前で降車して徒歩戦闘に移るという考えに基づく。軍用トラックであっても、不整地走破能力に乏しく、戦場の真っただ中で立ち往生することが危惧されたためである。
第二次世界大戦前に生まれた新しい戦術思想により、歩兵部隊は先陣を切る装甲装軌車両(戦車)に随伴することが求められ、より機械化(自動車化)が促進される。しかし、自動車化歩兵に与えられていたトラックは無防備の装輪式であり、その任務に就くには悪路での機動性能や防御力に問題があった。これを解決するため、トラックに無限軌道と装甲を施した半装軌車(ハーフトラック)が作られ、あるときは兵を戦場へと運び、あるときは兵を砲弾破片や銃弾から守った。ただ、半装軌車でも悪路での機動性能に劣るため、第二次大戦後に開発された車両の多くは装甲化された装軌車両となり、装甲兵員輸送車という名が定着した。
なお、遡って第一次大戦時のイギリス軍の菱形戦車のバリエーションであるマーク IX 戦車(名称は戦車だが実質は装甲輸送車)が世界初の装軌式装甲兵員輸送車とされている。マーク IXはエンジンを車体前方に配置し、車体中央に荷物10tもしくは歩兵30名から50名を収容し、天井を含む全面が装甲に覆われ、車体側面に乗降扉とガンポートまで付いていた、先進的な設計であったが、休戦までに3輌しか完成しなかった。
冷戦中に歩兵戦闘車(IFV)が開発された。歩兵戦闘車は機甲部隊のように兵員輸送車両にも戦闘参加が求められる部隊で装甲兵員輸送車(APC)を更新した。
また、現在では取得・運用コスト低減のため装輪式の装甲兵員輸送車が登場している。整備性の良さから海外任務(自衛隊海外派遣)での運用に向いており、陸上自衛隊でもイラク派遣で活用した。アメリカ陸軍ではストライカー旅団戦闘団(SBCT)と呼ばれる緊急展開部隊に重点配備している。しかし、摩擦抵抗の少ない車輪の物理的特性から舗装された道路を走る分には効率が良い反面、不整地を苦手とするため、本格的な野戦には向いていない。
武装は、自衛火器としての機関銃が主流であるが、20mm以上の機関砲、対戦車ミサイルなど、簡易な歩兵戦闘車とも呼べる火力を持つものもある。また、車内の歩兵が外部へ射撃する為のガンポートを持つものも多い。
また、その大きな積載能力は同一の車体を流用した様々な用途の車両(例えば指揮通信車両や自走迫撃砲)を生み出し、一つの武器ともなっている。
また、近年の地域紛争においては市街地を行動する装甲兵員輸送車も対戦車ロケット弾や即席爆発装置(IED)の攻撃にさらされることが多く、防御力の向上が図られている。BTR-Tやアチザリットなどのように、旧式の戦車を改修することで高い生存性を持つAPCとした車両も登場している。ただし、これらでも地雷やIEDを完全に無力化するのは難しく、経済的コストも低いMRAPが登場する事となった(ただし、MRAPはあくまでも地雷・IED対策に特化している事から、APCの主流には成り得ないと見られている)。