曖昧さ回避
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この項目では、皇族や貴族の子弟を意味する公達(きんだち)について説明しています。官庁の指示文書である公達(こうたつ)については「通達」をご覧ください。
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公達(きんだち)とは、本来は諸王のことを指したが、後代には臣籍にある諸王の子弟や、摂家・清華家などの子弟に対する呼称として用いられた。
平安時代中期以降、藤原氏忠平流や宇多天皇以降の賜姓源氏(宇多源氏・醍醐源氏・村上源氏など)などの近衛次将を経て公卿に昇進し得る上流貴族の家系出身者を「公達」と呼ぶようになり、これらの家は「公達」の家格とされた
(当時の貴族社会では、「公達」・「諸大夫」・「侍」の家格に分類されていた)。
平安時代末期には特に平家の子弟も公達と呼ばれた
(ただし彼らは本来は公達の家格ではなく諸大夫以下に属する)。
関連項目