全集

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全集(ぜんしゅう)という言葉は、主に特定の人物の全著作、全文章を収録したもの、または主な著作等を選び編集したもの、また特定の時代・国や地域の主要な文学的著作を編纂したもの、和洋の美術・歴史的文化財を撮影した写真をまとめたもの(日本古典文学全集、世界美術全集など)などに使われる。

「全集」という言葉を字義通りに解釈すれば、たとえば特定の作家の全集の場合、作品だけでなく日記、書簡、雑記やメモその他、著者の手になる文章すべてを収録する完全全集ととれるが、実際には、一般の読者にとって一定程度以上の意味のあるものだけを選んで編集したものを「全集」と名づける場合が多い。これは出版社の立場から言えば、たとえば、セットの商品として消費者に不完全な印象を与える可能性のある「選集」や「作品集」よりも使いやすいからであると予想される。

また、大正時代以降盛んに出版されたもので、「世界文学全集」「日本文学全集」などと称するものがある。これらは代表的な小説家の主要作を収めるものであるが、ページ配分があるため、読みたい作品が掲載されているとは限らない。応接間の飾りになっているものも多い。これらは全集というより叢書というべきである。ただし、こうした誤解をふせぐためか、「大系」と名乗るものも多い。

ところで、有限な「全集」に誰の何を入れ、幾巻をさくか、誰、何をいれないかという選択は、すぐれて編集的行為であり、このうえなく具体的な批評でもあり得る(たとえば『文学全集を立ちあげる』 丸谷才一三浦雅士鹿島茂 2006 文藝春秋。また、坪内祐三は、みずからが編集した筑摩書房の「明治の文学」のシリーズに、饗庭篁村に1巻を割いたことを特徴としていた。また、たとえば池澤夏樹個人編集『世界文学全集』全30巻 2007~2011 河出書房新社の編集ぶりもこの実例といえよう)

中国文学者の高島俊男は、大学で講義した際に「明治文学全集には高島先生の言った『○○作の××』という作品は入っていない。ゆえにそんな作品は存在しない、嘘を言わないで下さい」と(「全集」という言葉を字義通りに解釈した)大学生に詰め寄られたという(あまりにその学生が愚かすぎて信じがたいほどの)体験を書き残している。ただし、中国古典においては、『全唐詩』『全宋詩』などに、その時代の遺存する全作品が収録されているので、それを日本に敷衍して解釈した可能性もある。

個人全集

古くは漢籍の「石雲山人詩文全集」などの例がある。近代以降の文学全集では没後まもなく編まれた「一葉全集」「紅葉全集」などが先駆的である。本格的な全集としては、岩波書店の「漱石全集」のように小説評論から日記書簡、断簡零墨までを集めたものがある。これはその人物の業績や思想を全て網羅しようとするもので、一つの理想的な形態ではあろう。「漱石全集」は度々新たな編集が行われており、改訂のたびに新発見資料の収録や本文校訂が行われている。また、1970年代には、筑摩書房が、『校本宮沢賢治全集』で、推敲の過程の作者によって消された部分まで復元したことによって、「銀河鉄道の夜」の成立史など、研究を深める材料を提供することもある。

まだ生存している作家がこれまでの作品をまとめた全集を編むこともある。この場合、全集刊行後に発表された作品は当然、全集から漏れることになるので、不完全な全集とならざるを得ない。中国では、存命中に出るものは「文集」であり、存命中に全集が出ることはありえない。世界文学全集の類と並び、日本で大々的に営業上の理由から〈誤用〉されている語である。

日本近代文学の「(個人)全集」には、書簡や日記、断簡零墨の類までを収めることが多いが、これは外国のとりわけ編纂・校訂の先進国である英米の文学全集と比べても特異である。そもそも英語には日本のこの「全集」に相当するような語は存在しない。英米の「全集」の書名は通常Works of (作家名)となるが、この "Works" は "Works of Art" のことであって、収録するのは本文の校訂を経た〈作品〉だけである。ときに書簡を加えるような「全集」もあるが、その場合にはWorks and Letters of (作家名)と特記する。しかし、そもそも書簡や日記、断簡零墨の類は本文の校訂など必要としない、というよりも極力原形のままを提示すべき〈資料〉(Document)なのであるから、英米ではこれらを出版する場合には通常写真版に翻刻や解説を添えた別形態の出版物となる。万事理詰めな英米の一流全集に比べて、『漱石全集』(岩波書店の各版)に代表される日本の文学全集はおおらかであるが、研究者ではない一般の読者にとってはこの方が何でも手軽に見られるという点で便利とは言えよう。

日本近代文学の個人全集でもう一つ特異なのは、「編年体」という編集方針である。その代表例が『芥川龍之介全集』(岩波書店、全23巻、1995-98)である。この全集で最も印象的なのは、小説、翻訳、数行程度の詩、さらには編集後記の類までを区分しないで発表順に収録・掲載するという、前の菊判全集の特異な「編年体」をさらに一歩押し進めている点である。このような編集方針は英米の全集では絶対にありえない。近代文学の研究者間に、「個人全集とは、単なるテクストデータではなく、伝記である」、「全集とは、作品よりも作者という大きな物語を読む行為である」といった考え方があるようだが、当全集の編集方針とこのコンセプトには強い関わりがありそうである。  『芥川龍之介全集』で名誉ある第1巻冒頭を飾っているのは「バルタザアル」という見慣れない「作品」であるが、どんな内容なのかと見てみると、アナトール・フランス(1844~1924)の作品を芥川が訳したもの(英訳からの重訳)であった。しかも驚いたことにその訳文は、初出時の『新思潮』(1914・2・12)発表の本文ではなく、12年も後に芥川が大幅に改稿した『梅・馬・鴬』(新潮社、1926・12・25)から取られていた。「同じ作品」なら本文がどれほど違っても、時間が経ていても、冒頭に置いていいということなのか。これで「伝記」になるのか。三番目の短編集『』(春陽堂、1918・7・8)に収録された「羅生門」(初出は『帝國文学』、1915・11・10)の大幅な改稿は、「偸盗」(『中央公論』、1917・4・1)を無視しては考えられないと主張する研究者が少なくない。しかし前の菊判全集と同様『新全集』においても、この『鼻』版の本文が初出の発表時点に置かれている。  「個人全集とは伝記である」「作品よりも作者」といったコンセプトはどこへ行ったのであろう。こうした特異な「編年体」を正当化するのであれば、「バルタザアル」であれ「羅生門」であれ、現在の収録位置には初出の本文を置き、『梅・馬・鴬』版や『鼻』版の本文はそれが出版された時点に置くしかないはずである。複数の本文を提示する余裕がなければ、編者の判断でより重要と思われるどちらかを選びそれをその発表時点に正確に置く。他の本文については注釈においてしかるべく断る。

その他の全集

古くは「陸軍法令全集」(1889年-1990年)などの用例がある。

クラシック音楽で「ベートーヴェン交響曲全集」のように用いる例もある。この種の全集は主要作品のみというパターンはあまりなく、一応全作品を収めるが、「断簡零墨」に類するような習作や断片を収めるかどうかは編集方針次第である(一例として、ブルックナーの交響曲全集には、交響曲第0番などの初期の習作を入れないものが多数存在する)。

付録

全集には、販促物品として、「内容見本」とよばれるパンフレットが事前に作成されることが多い。そこには、関係者のエッセイなどが書き下ろされ、その対象への証言や研究に資するものもある。石川淳がいろいろな全集類に寄せた文章が有名である。

また、刊行時の付録として、「月報」と呼ばれるはさみこみが付されることも多い。これも、対象作家の研究に資するエッセイや、同時代批評などが収録されるため、古書店などで取引される際には、月報の有無が価格を左右することもある。テンプレート:Asbox

参考文献