元良勇次郎

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元良 勇次郎(もとら ゆうじろう、安政5年11月1日1858年12月5日) - 大正元年(1912年12月13日)は、日本最初の心理学者である。

人物

「元良」は勇次郎が結婚した後の姓である。現在、一般に、元良勇次郎と呼ばれている。なお船舶工学者元良誠三物理学者高橋秀俊は勇次郎の孫にあたる。 勇次郎の生まれた杉田家は、伝承によると九鬼守隆の学友であった杉田市郎右衛門の末裔とされているテンプレート:Sfn。 父親は三田藩儒学者であったが、勇次郎が若いころ(1972年)に死去されたテンプレート:Sfn。 勇次郎は、同志社英学校最初の学生(全8名)で、開校当初に中島力造上野栄三郎とともに真っ先に駆けつけたひとりだった。同志社英学校では当時としてはめずらしい性理学(現在の心理学)の授業が行なわれており、ここでの心理学との出会いが彼の一生を決定付けた。性理学の講義を担当していたJ・D・デービスが蔵書していたテンプレート:仮リンク『精神生理学の原理』テンプレート:Harvに感化されるテンプレート:Sfn

経歴

功績の概要

それまで日本において、心理学の知識は英語など外国語で書かれた書物だけであった。つまり心理学という学問は日本に入ってきてはいたが、実際の具体的な手法(実験法、調査法、観察法)は誰も体験しておらず、日本では心理学は存在しなかったと言える。 勇次郎はクリスチャンの人脈を活かし海外に学び、そこで心理学の実験手法などを体得し、心理学を日本に持ち帰り、それを根付かせた[1]

元良の提供した心理学の背景

元良が提供した心理学は、(ある意味当然のことであるが)当時の一流の学問を反映したものである。その学問的背景とも言えるものを簡潔にまとめると、例えば、

  1. フェヒナー精神物理学
  2. オストワルドエネルギー一元論
  3. ヴント実験心理学
  4. デューイジェームズプラグマティズム
  5. ホールジェネティック心理学

、と言うこともできる[1]

具体的な研究内容、テーマの例

元良による心理学上の研究を、初期・中期・後期と大分して説明する。

初期の段階でもすでに様々なテーマについて実験を行っているが、ひとつ挙げると、「注意」について研究したことが挙げられる。このテーマは一貫して持ち続け、1907年には、児童の注意力とその訓練についての実験へとつながった。そして、学習がうまくできない児童について、能力が無いというわけではなく、「集中」のしかたを知らないからなのだ、という説明および訓練方法を示し[注釈 1]、当時の教育関係者から評価され、それなりに問題解決に貢献することになった[1]

中期・後期のそれを挙げると次のようになる[1]

  • 円覚寺塔頭である帰源院でを体験した(1894年)。[注釈 2]
  • 横読み、縦読みの利害の実験(1895年)
  • 白内障者の視覚に関する実験(1896年)
  • 神経伝達の実験(1903年)
  • 片仮名・平仮名の読み書きの難易の実験(1904年)
  • 児童の注意力とその訓練についての実験(1907年)
  • 心元 (簡単に言うと精神化したエネルギーのこと) (1909年)
  • 顕心儀 (人の自我と、外界との関係の理解を助けるモデルの一種)(1909年)

著書

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登場する作品

翻訳

指導学生

参考文献

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注釈

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出典

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テンプレート:Normdaten
  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 放送大学「心理学史 '05」 2009.10.20放送。担当講師、佐藤達哉 他。(印刷教材テンプレート:Harv)。


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