佐藤好信
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佐藤 好信(さとう よしのぶ、永正8年(1511年) - 永禄8年(1565年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。岩城氏、相馬氏の家臣。
生涯
佐藤好信は源義経の家来であった佐藤忠信・佐藤継信の子孫を名乗る。今の福島県浜通り地方を中心に活躍し、その名に恥じぬ勇名を馳せた。
もとは富岡城(楢葉郡)にいた岩城氏の重臣であったが、相馬氏の武勇を慕い富岡右京進・富岡美濃らと共に相馬領へ来て相馬顕胤・盛胤の二代に仕えた。草野直清・青田顕治の反乱鎮圧戦などで活躍し、軍奉行として優れ、数多くの功績を立てたが、それを妬んだ別の家臣の讒言に遭い、軍奉行職を解かれたうえ、所領を没収された。これを恨みながら、まもなく死去したという。
子の佐藤為信が跡を継いだ。