住吉行宮
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住吉行宮(すみよし あんぐう)は、大阪市住吉区墨江二丁目にあった行宮(天皇の仮の御所)である。遺跡は国の史跡に指定されている。
概要
大阪市の住吉大社の南に位置し、大社の歴代宮司の津守氏の住之江殿(正印殿)の中におかれた南朝の後村上天皇の御座所(皇宮)で、足利尊氏と直義兄弟の不和に乗じて南朝方が男山八幡に進出した正平7年(1352年)2月28日から同年閏2月15日までと、幕府側の内紛と楠木正儀の戦略で南朝方が優勢を得た正平15年(1360年)9月から正平23年(1368年)3月11日に崩御するまでの間行宮とされた。次の長慶天皇は住吉行宮で即位し、正平23年12月24日に吉野へ移ったとされる。
正印殿は、康平3年(1060年)に津守国基が、津守氏の邸宅内に創建したものといわれており、後村上天皇が正平7年に滞在した時には津守国夏、正平15年に行宮とされた時には国夏の子、津守国量の邸宅であったという。
南北朝時代に住吉大社は宮司の津守氏が南朝方であり、住吉大社が南朝に属したことは、瀬戸内海をはさんで九州や四国の南朝との連絡に役立った。というのも、住吉大神は海の神であり、住吉大神を奉じる瀬戸内の海人たちを掌握でき、住吉や吉野と九州や四国との連絡網を確保できたからである。
津守氏の邸宅は、明治14年(1881年)から明治15年(1882年)頃に人手に渡ったが、大正5年(1916年)と昭和8年(1933年)に正印殿跡地が当時の所有者から大阪府に寄附され、昭和13年(1938年)6月に大阪府史跡に指定された。その翌年の昭和14年(1939年)3月7日には国の史跡に指定されている。
参考文献
- 「住吉区史」、1996年、大阪都市協会編集