伊奈忠常
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伊奈 忠常(いな ただつね、慶安2年(1649年) - 延宝8年1月4日(1680年2月4日))は江戸時代初期の関東郡代。通称半十郎。関東郡代伊奈忠克の嫡男。子に忠篤、忠順。
父伊奈忠克の死後、関東郡代と武蔵国赤山(現埼玉県川口市赤山)四千石の赤山陣屋の遺領を継いだ。父らと同じく、伊奈氏の代々の仕事を引き継ぎ、関東郡代として治水工事、新田開発を行った。小貝川堤防工事や、千住大橋の架け替え工事などに名が残るが、32歳の若さで夭逝してしまう。
本拠地であった、赤山陣屋に隣接する源長寺は伊奈氏の菩提寺として忠常が整備し、父忠克以後代々の墓がある。頒徳碑には伊奈忠次、忠政、忠治らの業績が記されている。