京極高倍
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京極 高倍(きょうごく たかます、文化5年(1808年)- 天保4年12月5日(1834年1月14日))は、丹後国峰山藩の第8代藩主。第7代藩主・京極高備の五男。幼名は万蔵、主膳。官位は従五位下、備前守。
天保元年(1830年)12月14日、父高備の嫡子となる。五男であったが、長兄の高寧、次兄高聡が早世し、三兄直貞(一色姓)と四兄正応(津田姓)は他家の養子に出されていたためである。天保3年(1832年)11月20日、父高備の隠居により家督を継いだ。同年12月16日、従五位下備前守に叙任した。しかし在職1年あまりの翌年12月5日に26歳の若さで死去した。嗣子が無く、跡を弟の高鎮が継いだ。法号は徳彰院興誉和順道融。