交響曲第4番 (ショスタコーヴィチ)

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テンプレート:Portal クラシック音楽 交響曲第4番(こうきょうきょくだい4ばん) ハ短調 作品43は、ドミートリイ・ショスタコーヴィチが作曲した4番目の交響曲である。

概要

ショスタコーヴィチ自身「我が仕事のクレド(綱領)」と呼んだように、この作品はそれまでの集大成として1935年9月13日から1936年5月20日に掛けて作られた。構想から作曲、そして完成に至るまでに8か月も要したことから、この作品が「天才」と呼ばれたショスタコーヴィチにとっても容易ならざる作品であったことが分かる。初めはアダージョとして作曲されたが放棄され、さまざまな試行錯誤の末に完成する。なお放棄された楽譜は、《交響的断章「アダージョ」》の名で残されている。

この曲はショスタコーヴィチの全15曲の交響曲の中でも最大の編成であり、最も技術的に演奏至難な曲であることでも知られている。例えば第一楽章のプレストの狂気なフガートはテンポどおりでは演奏不可能の作品に属する。クラスター的な音響が取り入れられていたり、第3楽章には明らかに軽音楽から影響を受けたと見られる箇所があることもこの曲の特色と言えるだろう。

マーラーの影響

この交響曲の作曲中、ショスタコーヴィチはマーラーの作品に熱中し、友人のフィンケルシュテインの証言では手元にマーラーの第3交響曲と第7交響曲のスコアを置いていたとある。事実彼自身の手による第3交響曲のスコアが残されるなど、この作品の制作に際してマーラーを参考にしていたことが分かる。作品にも、第一楽章終結部における「郭公の動機」はマーラーの第1交響曲からの引用、第二楽章のトリオ部は、マーラーが愛好していたレントラー舞曲を採用し、第三楽章冒頭部の葬送行進曲はマーラーの第1交響曲第四楽章冒頭部のパロデイ、コーダ部のチェレスタの使用はかの『大地の歌』の終結部の引用など、枚挙に暇がない。

悲運の交響曲

この作品は完成後、数奇な運命を辿ることになる。1936年1月から2月にかけて歌劇ムツェンスク郡のマクベス夫人』とバレエ『明るい小川』が、ソヴィエト共産党機関紙『プラウダ』で批判された(プラウダ批判)。すると、ショスタコーヴィチは当局の意向に沿わないことを恐れたためか、その年の12月にシュティードリー指揮レニングラード・フィルで初演を行うことも決まり、最終リハーサルまで行ったにも拘らず、この曲の初演を撤回してしまった。その後1961年12月30日に初演が行われるまでの25年間、日の目を見ることはなかった。その直接的な理由は不明であるが、当時彼のおかれた状況は決して安泰ではなく、スターリンの粛清下、近親者や友人たちが相次いで投獄され、彼自身トゥハチェフスキー事件に連座して当局の事情聴取を受けるほどであったので、この第4番の発表によって身に危険が及ぶと判断して撤回したのだと考えられる。この作品の初演を見送ったあとに交響曲第5番を作曲し、その名誉を回復したのである。

だが、ショスタコーヴィチは第4番を「失敗作でオーケストラで演奏されなかったが、私自身この曲のいくつかの部分は好きだ」と評しているように放棄せず、チャンスがあれば公演を行うつもりであった。1960年代には、すでに総譜は紛失していたが、モスクワ・フィルハーモニー協会の芸術監督グリンベルクとモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者キリル・コンドラシンらがパート譜をもとに復元し、初演の運びとなった。なお、作曲者自身は初演を親友のムラヴィンスキーに頼んだが謝絶され、結局コンドラシンによって初演の運びとなり、これ以後コンドラシンとショスタコーヴィチの交流が生まれた。

以上のような経緯から、4番は長らく正当な評価が下されず巨匠の隠れた名作とされていたが、近年その真価が再評価され演奏機会も多くなってきている。

最晩年にショスタコーヴィチは「プラウダ批判の後、政府関係者が懺悔して罪を償えとしつこく説得したが拒絶した。代わりに交響曲第4番を書いた。若さと体力がプレッシャーに勝ったのだ」と証言しており、したたかな彼の一面が窺われる。

初演

世界初演:1961年12月30日キリル・コンドラシン指揮、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団モスクワ音楽院大ホール

日本初演:1986年7月20日芥川也寸志指揮、新交響楽団 (アマチュア・オーケストラ)新宿文化センター大ホール

構成

3つの楽章から構成され、全楽章とも最弱音でおわる。演奏時間は約60分。

第1楽章

Allegretto poco Moderato - Presto ソナタ形式

ショスタコーヴィチの交響曲にしては珍しく、ブルックナーのように主題が3つあり、それが楽章の巨大化の原因となっている。展開部の第二部では突如、第1ヴァイオリンから開始され、低弦にまで至ると金管へと繋がる。打楽器が加わって全体が大騒音に突進するプレストの強烈なフーガは全曲中特にインパクトが強い。再現部では極度に変形された第1主題から現れる。また、コーダには「郭公の動機」のような動機も現れる。静寂と激動の巨大な楽章である。

第2楽章

Moderato con moto スケルツォ

第1楽章の展開部による主題はリズムを変形させた厳格なフーガを構築し、慎ましやかながら壮大なスケールを感じさせる音楽となっている。トリオはヴィオラから始まるが、ホルンによって奏される主題はそのまま次の交響曲第5番の第1主題に用いられている。再現部では弦のフガートで始まる。最後のコーダでは打楽器が極めてラテン音楽風の印象的なリズムを刻むが、これは、チェロ協奏曲第2番、交響曲第15番にも引用されている。

第3楽章

Largo - Allegro 終曲

葬送行進を思わせる序奏で始まる。ティンパニとコントラバスのリズムに乗ってファゴットによって奏され、ユーモアも交えるという、いかにもショスタコーヴィチらしいシニカルな組曲風の楽章である。深刻な主題に達して最初の頂点を作る。主部は一転して「魔笛」のパパゲーノのアリアや「カルメン」の闘牛士の歌のパロディなどの能天気な音が出るなど、様々な要素の音楽がめまぐるしく現れる。後半部、低弦の刻むリズムが静かに消えるが、この主部自体は自由に即興的に作られた一種の変奏曲形式と見ることができる。長大なコーダでは突如ティンパニの連打に伴い、金管群のハ長調のコラールが堂々と奏でられ、悲劇的な行進曲がカタストロフのごとく炸裂する。最後は、力を失い、主調であるハ短調の和音が響く中、弱音トランペットが警鐘のように主題を鳴らし、悲しみと清浄の入り混じるかのようなチェレスタの響きにより終結が訪れる。

編成

ショスタコーヴィチの交響曲の中では最大の編成であり、134名を必要とする。

ピッコロ2、フルート4、オーボエ4(うちイングリッシュホルン持ち替え1)、小クラリネット1、クラリネット4、バスクラリネット1、ファゴット3、コントラファゴット1
ホルン8、トランペット3、トロンボーン3、チューバ2
ティンパニ奏者2、合せシンバル、懸垂シンバル、トライアングル大太鼓小太鼓シロフォンタムタムグロッケンシュピールチェレスタカスタネットウッドブロックハープ2
第1ヴァイオリン22、第2ヴァイオリン20、ヴィオラ18、チェロ16、コントラバス14

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