中原兼遠
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中原 兼遠(なかはら の かねとお、生年未詳 - 治承5年(1181年)?)は平安時代末期の中原氏の武将。信濃国木曾地方に本拠を置く豪族で、「木曾中三」を名乗りとする。木曾義仲の乳母父。
概要
久寿2年(1155年)の大蔵合戦で源義賢が甥の源義平に討たれた際、その遺児・駒王丸を斎藤実盛の手から預かり、ひそかに匿って養育する。駒王丸は兼遠一族の庇護のもとで成長し、木曾義仲と名乗って治承・寿永の乱において平家や源頼朝と戦う。兼遠の子である樋口兼光・今井兼平はともに義仲の重臣となっている。
『源平盛衰記』では巴御前は兼遠の娘で義仲の妾となっており、また一説によるともう一人の娘は義仲の長男義高を生んでいるという。