与島

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テンプレート:Infobox 与島(よしま)は香川県坂出市瀬戸内海に浮かぶ塩飽諸島瀬戸大橋が渡っており、その与島パーキングエリアが位置する。

概要

人口142人、面積1.10平方km、周囲6.9km。全域が香川県坂出市与島町に属している。島の北部と西部は大部分が与島パーキングエリアと瀬戸大橋の架橋用地となっている。

歴史

かつては全域が「仲多度郡与島村」(よしまそん)に属していたが、1953年に坂出市に編入された。1988年には瀬戸大橋が開通し本土へ陸続きで渡れるようになった。

年表

交通

道路

与島パーキングエリアには750台の駐車場があり、駐車場から与島北部の与島港へ行くことが出来る。 路線バス及び島民関係者は専用カードによりゲートを開いて島内道路へ入ることが可能。島民以外の自動車は第2駐車場(塩浜地区)までであり、島民用ゲートを通れないので、島の南部へ行くためには路線バスを使うこととなる。

バス

フィッシャーマンズワーフ

開業と京阪電鉄撤退

瀬戸中央自動車道の開通により、1988年京阪電気鉄道が観光型商業施設「瀬戸大橋京阪フィッシャーマンズ・ワーフ」を開業した[1]。当初は年間516万人の利用者があり[2]予想を上回る年間103億円を売り上げた。与島を周遊する観光船(後述)や観光ヘリコプターが運行され[1]レーシングカート場も建設された。隣の小与島に建設されたリゾートホテル「アクア小与島」との間にロープウエイを建設する計画まであったが、ブームが去ると観光客が急減。1990年代には年間250万人に減少し[3]神戸淡路鳴門自動車道や「しまなみ海道」がオープンすると更に減少した[2]。不採算部門は次々と閉鎖・縮小されたが、2003年に京阪電鉄は撤退。累積赤字は清算された。

八幡建設へ譲渡後

事業は同年4月に鳥取市秋里の八幡建設[4]に譲渡され「瀬戸大橋フィッシャーマンズワーフ」として再オープンした。遊覧船を含む全施設と土地を八幡建設が取得し職員・パート90人も受けついだ[5]。八幡建設は観光・レジャー産業へは初進出であった。譲渡後から同年12月までの来場者数は45万8000人で、前年同期比12万人減であり譲渡後も来訪客の減少が止まらなかった[6]。2004年1月22日よりボーリングによる温泉の掘削を開始[6]。当初は滞在型のリゾートホテルを建設する予定であったが[6]、レーシングカート場跡地にオアシスパーク瀬戸大橋という足湯を2007年4月に建設するに留まった[7]。「ベゴニア海花園」という温室庭園も2006年7月にオープンした[1][8]。「ベゴニア海花園」には、ベゴニアを中心に約1万株の花々が植えられ[8][9]アンデス山脈の標高3000m付近の植生が再現された[8]。四季咲きのローズガーデンやイチゴ園も併設された[8]。温室は3000平方メートルの広さで西日本最大級の規模であった[10]。鹿児島県などから運んだケヤキやクスノキ、イチョウなどの大木を植樹し、築山、池を造成した庭園は、面積2万1000平方メートルの広さがあった。これらの新規観光施設開設によって年間20-40万人の入園者を見込んでいた[11]が2007年実績で3万人に留まり[12]、2008年11月末には双方とも閉鎖となった[10]。最終的には施設本館で土産物販売とレストランを営業するのみとなり[2]、2011年11月に全面閉鎖された[1][2]。管理者は今後跡地を更地とし、利用方法を検討したいとしている[1]

咸臨丸

フィッシャーマンズワーフ開業に合わせて咸臨丸(かんりんまる)が就航した。幕末に太平洋横断をおこなった咸臨丸を模した観光船で[8][13]、帆船風に3本のマストを装備していた。瀬戸大橋の下をくぐって羽佐島櫃石島などを巡る約30分のクルーズが人気で初年度は117万人が乗船した。客足が落ちると共に週末のみの航行となったが、建造後20年を経過して各部分の劣化が進行し、2008年1月末で運行を停止した。

採石業

周辺の島々と同様に、与島でもかつて採石業が盛んであった[3]。良質な花崗岩を産出し昭和の最盛期には30社もの業者が操業していた[3]。また石材を搬出する海運業も栄え[3]、50隻の運搬船が使用された[3]。瀬戸大橋の建設に伴って橋脚やパーキングエリアや観光施設に土地を譲渡する形で多くの業者が廃業した[3]。採石は露天掘りで実施されており、操業停止後は雨水が溜まり池になっている場所もある[14]

観光

瀬戸大橋が完成した翌年の1989年には、774万人の観光客を集めたが、2007年には258万人に減少した[15]

人口

1980年には島民は361名であり、多くの家庭が採石業に関連した仕事をしていた[3]。瀬戸大橋の建設に伴って建設労働者の宿舎が建築され1988年には人口は500人以上に増えた[3]。瀬戸大橋開通後に期待した観光業は数年で廃れ、人口流出が続いた[3]。1990年には277人、2010年には115人となり高齢化も進行している[3]

主な施設

脚注

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外部リンク

  • 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 香川を飛ぶ:2013空撮点描/1 与島パーキングエリア 橋開通25年、にぎわいなく /香川 毎日新聞 2013年1月24日 地方版
  • 2.0 2.1 2.2 2.3 フィッシャーマンズ・ワーフ、11月末で休業へ 香川のニュース 四国新聞社 経済一覧 2011年9月17日
  • 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 3.7 3.8 3.9 瀬戸大橋:「陸続き」島を翻弄 観光は開通3年で陰り 毎日新聞 2013年4月10日
  • 八幡建設は鳥取県を中心に土木、舗装など建設業、生コン製造販売、不動産賃貸などを手掛ける総合建設会社
  • 島「フィッシャーマンズ・ワーフ」 鳥取の業者が営業継続 京阪譲渡 2003年2月6日 一面-15版 1頁 山陽新聞朝刊
  • 6.0 6.1 6.2 温泉掘削始まる 坂出・与島フィッシャーマンズ・ワーフ ホテル整備 立ち寄り型から滞在型へ 2004年1月22日 香川-15版 28頁 山陽新聞朝刊 写有
  • 地下2000mから毎分35Lの温泉が湧出し、加温して利用していた;出典 瀬戸大橋と融合 癒やしの拠点に 与島に「オアシスパーク」オープン 足湯や庭園、イチゴ園整備 四国新聞社 2007年4月2日 朝刊 23頁 地域
  • 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 見どころあり、スリルもあり!瀬戸大橋が架る海をクルージング 遊覧船咸臨丸
  • 壮観1万株 与島に「ベゴニア海花園」オープン 四国新聞社 2006年7月30日 朝刊 1頁 総合
  • 10.0 10.1 与島ベゴニア園“最後の営業日” 利用客ら名残惜しむ 四国新聞社 2008年12月1日 朝刊 17頁 地域
  • 出典によって数値が異なる
  • フィッシャーマンズ・ワーフ 一部の施設休業 来月から 原油高、入園者低迷 四国新聞社 2008年11月8日 朝刊 27頁 社会
  • その背景には、咸臨丸には地元の塩飽諸島から35人が水夫として乗り組んでいたという史実がある。
  • google mapで確認できる
  • 現職の評価、焦点に 好立地生かせたか 坂出市長選、10日告示 朝日新聞2009年5月8日24ページ