上田交通
上田交通株式会社(うえだこうつう、英称:Ueda Kotsu Co., Ltd.)は、長野県上田市で不動産事業などを運営し、傘下に鉄道、ホテル、スキー場事業を営む子会社を擁する持株会社である。本社は長野県上田市天神1丁目2-1にある。略名は、旧名の上田電鉄(初代)・上田丸子電鉄に由来する上電(じょうでん)である。
東京急行電鉄(東急)の系列会社で、社紋も東急とは文字が異なるだけである(上田電鉄の分社後の社紋は五七の桐の中央の「七」の部分にかつての上田丸子電鉄社紋のうち円形の「上田」部分をあしらったもの)。
鉄道やバスも直営していたが、バス事業は1999年に上電バスとして分社化し、かつては西丸子線や真田傍陽線など最盛期で4路線48.0kmの路線網を擁していた鉄道事業も、別所線11.6kmだけの運営となり、2005年に上田電鉄(2代)として分社化した。なお2009年10月に上電バスと上田電鉄タクシーは株式をジェイ・ウィル・パートナーズに譲渡、グループから離脱している。
なお、東京急行電鉄創業者である五島慶太の出身地は小県郡青木村で、青木線の沿線である。
目次
歴史
- 1916年(大正5年)9月17日 丸子鉄道(株)設立[1]。上田交通はこの年を創立年としている。
- 1918年(大正7年)11月21日 丸子鉄道、大屋 - 丸子町間を開業。
- 1920年(大正9年)1月5日 (株)上田温泉軌道設立。11月(株)上田温泉電軌に社名変更。
- 1921年(大正10年)6月17日 温電青木線(三好町 - 青木間)、川西線(上田原 - 信濃別所)間が開業。
- 1924年(大正13年)8月 千曲川鉄橋完成し温電青木線、川西線上田に乗り入れ。
- 1925年(大正14年)8月1日 丸子鉄道、上田東 - 大屋間を開通。
- 1926年(大正15年)8月12日 温電依田窪線(下之郷 - 西丸子間)が開業。
- 1927年(昭和2年)11月20日 温電北東線上田 - 伊勢山間が開業。
- 1928年(昭和3年)1月10日 伊勢山 - 本原間開通。
- 1928年(昭和3年)1月20日 (株)上田温泉電軌、乗合・貸切自動車業務兼業開始。
- 1928年(昭和3年)4月2日 本原 - 傍陽間開通。
- 1928年(昭和3年)5月1日 本原 - 真田間開通し温電北東線全通。
- 1932年(昭和7年)1月1日 丸子鉄道(株)、譲受により乗合自動車業務兼業開始。
- 1938年(昭和13年)7月25日 青木線が廃止。
- 1939年(昭和14年)3月19日 川西線・依田窪線を軌道法による軌道から地方鉄道法による鉄道に変更し、それぞれ別所線、西丸子線に改称。北東線を菅平鹿沢線に改称。
- 1939年(昭和14年)9月1日 (株)上田温泉電軌が(株)上田電鉄に社名変更。
- 1940年(昭和15年) 丸子鉄道(株)、丸子自動車(株)に乗合自動車路線を譲渡(※丸子自動車(株)は3年後千曲自動車(株)に吸収合併される)。
- 1943年(昭和18年)9月 (株)上田電鉄、千曲自動車(株)に乗合自動車路線を譲渡し、貸切自動車業務を廃止。
- 1943年(昭和18年)10月21日 (株)上田電鉄と丸子鉄道(株)が合併し上田丸子電鉄(株)に。上田東 - 丸子町間を丸子線とする。
- 1952年(昭和27年)3月20日 乗合旅客自動車運送事業を開始(※合併後初)。以降バス路線を拡充。
- 1956年(昭和31年)4月 この月からハイヤー業を拡大、営業所を設置。
- 1958年(昭和33年)11月4日 東京急行電鉄の系列会社となる。
- 1960年(昭和35年)4月1日 菅平鹿沢線を真田傍陽線に改称。
- 1961年(昭和36年)6月29日 西丸子線が災害のため休止に。1963年11月1日に廃止。
- 1969年(昭和44年)4月20日 丸子線が廃止。
- 1969年(昭和44年)5月31日 上田交通(株)に社名変更。
- 1972年(昭和47年)2月20日 真田傍陽線が廃止。
- 1999年(平成11年)8月1日 バス部門を上電観光バス(株)(2000年に上電バス(株)と社名変更)に譲渡。
- 2005年(平成17年)6月22日 鉄道部門を上田電鉄(株)として分社、子会社化する方針を発表。
- 2005年(平成17年)10月3日 鉄道部門が上田電鉄(株)として独立。これにより上田交通(株)は持株会社となる。
- 2009年(平成21年)10月 - 上電バス、上田電鉄タクシーの株式をジェイ・ウィル・パートナーズに譲渡、2社は東急グループから離脱。
上田電鉄
2005年に持株会社となった上田交通の子会社として設立された鉄道事業者で、同年より上田交通の鉄道事業を継承して営業している。
会社概要
- 本社所在地:〒386-1211 長野県上田市下之郷498(下之郷駅構内隣接)
- 分室:〒386-8577 長野県上田市天神1丁目2-1 上田交通本社内
- 設立:2005年(平成17年)10月3日
- 代表者:代表取締役社長 角田朗一
- 資本金:1,000万円
- 事業内容:鉄道事業、不動産賃貸事業
現有路線
廃止路線
廃止はすべて上田交通時代以前。前身会社のものも含む。リンク先の項目名に使用している社名は廃止時点のもの。
車両
上田丸子電鉄時代の1950年に、電車、電気機関車の車番の付番方法を下記の通り定め、1986年の別所線昇圧まで適用されていた。形式称号はこれに電車の場合はモハ・クハ・サハ、電気機関車の場合はEB・EDが前に付く。
- 千の位 - 電動機出力
- 1 - 50馬力(≒37kW)以下
- 2 - 50馬力超、60馬力(≒45kW)以下
- 3 - 60馬力超、70馬力(≒52kW)以下
- 4 - 70馬力超、80馬力(≒60kW)以下
- 5 - 80馬力超
- 百の位 - 制御器方式
- 1 - 直接制御
- 2 - 間接制御手動進段(HL式)
- 3 - 間接制御自動進段(カム軸式)
- 十の位 - 車両全長
- 両側連結器間の全長をメートル単位で四捨五入した値の下1桁。
- 1 - 11.5m未満
- 2 - 11.5m以上、12.5m未満
- 3 - 12.5m以上、13.5m未満
- 4 - 13.5m以上、14.5m未満
- 5 - 14.5m以上、15.5m未満
- 6 - 15.5m以上、16.5m未満
- 7 - 16.5m以上、17.5m未満
- 8 - 17.5m以上、18.5m未満(適用対象車両には存在しなかった)
- 9 - 18.5m以上
電気機関車と電動制御車(モハ)は電動機・制御器があるため4桁、制御車(クハ)は制御器があるため3桁、付随車(サハ)は2桁となる。
なお、東急からの譲受車のうちデハ3300形・クハ3660形・クハ3770形は当初貸与扱いだったためか適用対象から外れている。また、他にも適用されていても実際の区分と異なる例がある。
上電バス
上田電鉄タクシー
上田市を中心とした東信地区で営業するタクシー会社であり、上田駅前の上田東急ビル2階に上田営業所、上田電鉄別所温泉駅前に別所営業所、しなの鉄道田中駅近くに田中営業所を構える。 東信地区での配車台数がナンバー1であり、特に上田駅前においてはお城口・温泉口共に同社の車両を最も多く見かけることができる。2009年(平成21年)10月に株式をジェイ・ウィル・パートナーズに譲渡し、グループから離脱、現在は上田タクシーとなっている。
上田東急イン
上田駅温泉口ロータリーに面して立地するビジネスホテルで、上田交通グループの株式会社上田東急インが運営し、東急ホテルズにフランチャイズ加盟している。
上田交通真田傍陽線の廃線後、電鉄上田駅跡(上田駅お城口)に開業、1997年(平成9年)に上田駅温泉口に新築移転し現在に至る。
現在では全国展開する東急インであるが、上田が第1号店であり、その響きの良さから東京急行電鉄のビジネスホテルチェーン名として採用された。
東急ホテルズの会員制度「コンフォートメンバーズ」や早期予約割引の早割15などの制度を利用することにより正規料金より割安で利用することができる。
上田ステイ
上田東急インが上田駅温泉口に移転した後、旧上田東急インの上田東急ビルを改装し長期滞在型ホテルとして営業を開始した。
上田ステイへの変更と共に、東急イン時代にロビーや式場・レストランなどであった場所を大幅に改装し、上田交通・上田電鉄・上田電鉄タクシー・ハーレスキーリゾートの上田交通グループ各社の本社オフィスに転用している。
また、上田駅お城口から徒歩0分の好立地であることから、1階のコンビニ・郵便局や地階の飲食店など数多くのテナントが入居している。
ハーレスキーリゾート
旧社名は菅平観光。
上田市菅平高原の菅平高原スキー場にて、太郎エリアの表太郎・白金・裏太郎ゲレンデ、ダボスエリアの裏ダボス・表ダボスゲレンデの営業を行っている。
リフト係員は、東急グループのスキー場で使用されているものと似たウェアを着用しているが、正式には上田交通の子会社のため、他の東急グループのスキー場(白馬観光開発:白馬八方尾根スキー場など)とは多少違った扱いとなっている。
カーピット109
上田市常田の上電バス上田営業所に隣接する上田交通直営の自動車整備工場。
民間車検工場として一般ユーザーからの点検・車検を受け付けているほか、大型のピットを有しており上電バス・上田電鉄タクシーの営業用車両の点検・修理も行っている。
脚注・出典
関連項目
外部リンク
テンプレート:東急グループ- ↑ 『地方鉄道及軌道一覧 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)