三浦矩次

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テンプレート:基礎情報 武士 三浦 矩次(みうら のりつぐ)は、江戸時代中期の大名。美作勝山藩の第2代藩主。美作勝山藩三浦家7代。

生涯

三河西尾藩主・三浦義理(勝山藩三浦家5代)の長男として生まれる。母は富永氏。

宝暦12年(1762年)9月1日、義理の養子として三浦家を継いでいた三浦明次(義理の甥、勝山藩初代藩主)の養嗣子となる。安永元年(1772年)に明次が隠居したため、家督を継いで勝山藩第2代藩主となる。藩政では領内整備に尽力する一方で、漢詩を好んで詩集「山水閑音」上下2巻を編纂するという教養に溢れた文化人だった。

安永9年(1780年)3月21日、34歳で死去する。明次の実子で矩次の養子となっていた前次が跡を継いだ。

家族・親族

正室は西尾藩主・松平乗祐の娘。

実子(長男)に三浦毗次(てるつぐ)がいる。毗次はのちに前次の跡を継ぎ第4代藩主となった。

美作勝山藩主三浦家を実系で示せば以下のとおり。

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  • 実線は実子、点線は養子を示す。
  • すべての人物を掲載してはおらず、また兄弟・姉妹の順に配列してはいない。
  • 数字は美作勝山藩主の代数を示す。

外部リンク

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