三島徳七
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テンプレート:Infobox Scientist 三島 徳七(みしま とくしち、1893年2月24日 - 1975年11月19日)は、兵庫県津名郡広石村(現洲本市五色町広石)生まれの冶金学者。産業技術進歩に大きな役割を果たしたMK鋼の発明者として知られる。日本学術会議会員、日本学士院会員、文化勲章受章。
鉄にニッケルを加えたニッケル鋼は磁石とならないが、さらにアルミニウムを加えた合金は永久磁石(MK磁石)に適していることを1931年に発見した。1917年にKS鋼を発明した東北帝国大学の本多光太郎は磁石開発における競争相手であった。KS鋼に比べ、MK鋼は材料価格も安く、製造費用を抑えることができた。本多は、1934年にMK鋼を上回る新KS鋼を開発し、MK鋼とほぼ同水準の材料を作りあげている。
長男は三島良績(東京大学工学部原子力工学科教授),孫は三島良直(東京工業大学学長).
略歴
- 1893年 - 農家・喜住甚平の5男(7人兄弟の末っ子)として生まれる
- 1913年 - 立教中学を首席で卒業。書生をしながら苦学して東京帝国大学に入学し、後に主任教授の三島家の養子となる
- 1920年 - 東京帝国大学工学部鉄冶金学料卒業
- 1920年 - 東京帝国大学講師
- 1921年 - 東京帝国大学助教授
- 1928年 - 学位論文 「ニツケル」及「ニツケル」合金ノ焼鈍脆性 東京帝国大学 [1]
- 1931年 - 「MK磁石」と命名された画期的な永久磁石を発明
- 1938年 - 東京帝国大学教授(~1953年)
- 1945年 - 帝国学士院恩賜賞受賞
- 1950年 - 文化勲章受章
- 10月 - 千葉工業大学理事に就任
- 1950年 - 藍綬褒章受章
- 1975年 - 勲一等旭日大綬章受章
東京大学教授退官後、日本鋳物協会会長、日本シェルモールド協会会長、綜合鋳物センター会長、新技術開発事業団開発審議会会長、日本鉄鋼協会会長、日本金属学会会長など各種機関の会長を歴任。東京都府中市の多磨霊園に埋葬されている。
関連項目
脚注
- 元の位置に戻る ↑ 博士論文書誌データベース