ロバート・ルービン
ロバート・エドワード・ルービン(Robert Edward Rubin, 1938年8月29日 ニューヨーク -)はアメリカ合衆国の銀行家・財政家。
ゴールドマン・サックス共同会長、国家経済会議(NEC)委員長、財務長官、シティグループの経営執行委員会会長を歴任した。
クリントン政権では財政均衡を主導し、レーガン・ブッシュ政権以来の負の遺産である財政赤字の削減に努めた。
目次
来歴
生い立ち
1938年、ニューヨーク市のユダヤ系の家庭に生まれる。父親は社会派の有力弁護士、祖父はニューヨーク市の下町ブルックリンの民主党リーダーという「家系」であった。若いときからの民主党支持者。
1960年、ハーバード大学経済学部を最優等(summa cum laude)で卒業(BA)後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに進み、1961年卒業。 さらにエール大学ロースクールで法学を学ぶ。1964年卒業(LLB)。
1964年~1966年、Clearly、Gottlieb、Steen & Hamilton 法律事務所(在ニューヨーク)で勤務。
ゴールドマン・サックス時代
1966年、ゴールドマン・サックスに入社。四半世紀をウォール街で過ごした。鞘取りの天才と称され、入社5年でパートナー、14年で役員会に相当する経営委員会入りするなど実力主義の投資銀行のなかでも超スピード出世で、1990年には同社の共同会長に就任しトップに上り詰めた。
財政家として
1993年、クリントン政権の発足と同時に経済政策担当大統領補佐官に任命されてホワイトハウス入りし、新設の国家経済会議(NEC)委員長も兼任。
1995年、第70代財務長官に就任。財務長官として、ルービンは米国の最重要政策決定に先導的な役割を果たした。財政の均衡、貿易政策のグローバル化、メキシコ、アジア、ロシアの金融危機への対策、公共債発行上限に関する議会と行政府との調停、ドル偽造に対する対策、インフレ連動証券の導入、財務省法務局(Treasury's law enforcement agencies)の様々な政策事項への断固たる措置、内国歳入庁の改革などに携わり、1999年7月2日に退任。
ともすれば「大きな政府」を志向しがちな民主党政権内に「市場中心主義」を根付かせた。的確な政策運営によりグリーンスパン連邦準備理事会(FRB)議長と並ぶ、米経済繁栄の立役者と評価される。
現在
財務長官退任後、1999年10月よりシティグループの経営執行委員会会長(1999年 - )。グループの戦略、経営、運営に携わる。
フォード自動車の取締役や、マウントサイナイ医科大学/マウントサイナイ病院評議会の理事。 2000年3月、ニューヨークを基盤に電子商取引企業への投資を専門にするプライベート株式投資会社のインサイト・キャピタル・パートナーズの顧問となる。
年譜
経済活動における年譜
- 1966年 ゴールドマン・サックス入社
- 1971年 ゴールドマン・サックスパートナーとなる
- 1972年 シカゴ先物取引所理事(-76年)
- 1979年 ニューヨーク先物取引所理事(-85年)
- 1980年 ゴールドマン・サックス社経営委員
- 1980年 ニューヨーク・シティー年金基金投資諮問会議
- 1980年 貿易交渉に関する大統領諮問委員会メンバー(-82年)
- 1987年 ゴールドマン・サックス社副会長
- 1987年 貿易競争力に関する知事諮問委員会メンバー
- 1988年 ニューヨーク証券取引所規制諮問委員会メンバー
- 1989年 ニューヨーク連銀国際資本市場諮問員会メンバー
- 1990年 ゴールドマン・サックス社上席パートナーシップ兼共同会長
政治活動における年譜
政治活動は一貫して民主党員であった
- 1983年 ウォルター・モンデール民主党大統領候補ニューヨーク州選対財政委員長(-84年)
- 1992年 民主党全国大会の受入委員長
- 1992年 経済政策担当大統領補佐官
- 1994年 国家経済会議委員長
- 1995年 財務長官(-99年)
家族
家族は、ジュディス(Judith)夫人、2子。
著書
- In an Uncertain World. (Random House, 2003).
- 古賀林幸・鈴木淑美訳『ルービン回顧録』(日本経済新聞社, 2005年) ISBN 978-4532165154
外部リンク
- Secretaries of the Treasury - Robert E. Rubin - アメリカ合衆国財務省の公式サイト[1]内の、ルービンの紹介ページ(英語)
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