ルイ・ブライユ
ルイ・ブライユ(Louis Braille、1809年1月4日 - 1852年1月6日)は、アルファベットの点字開発者である。
パリ東方60 kmにある、イル・ド・フランス地域圏セーヌ=エ=マルヌ県にある人口2700人ほどの小さな村クプヴレの生まれ。父親は馬具や革靴などを制作する職人で、自宅の一階に工房を持っていた。ルイは3歳の時に、その工房で遊んでいるうちに、父親が使っていた錐で、誤って眼球を突き破ってしまい、左目を失明した。その後、感染症により5歳で全盲となった。
パリ盲学校在学中の1824年、フランス軍の軍人、シャルル・バルビエ(Charles Barbier)がもたらした12点式の「夜間に命令が出たときの暗号」を改良し、アルファベットを表すためには6点あれば十分で、その方が遙かに読みやすいことから、横2×縦3の現在の6点式の点字を発明した。パリ盲学校を卒業し、同校の教官になった。それ以前、視覚障害者のための印刷は、図画盤というざらざらした板に紙を乗せ、先のとがった物で左右が逆の文字を書いていたが、この方式は、視覚障害者自身上手に書くことは非常に難しかった。その後、楽譜や数式の書き方も定めた。これが世界中で使われる点字となった。
晩年は、盲学校教師として教鞭をとり、また教会のパイプオルガンを演奏するなどして活躍した。 そのかたわら、晴眼者・視覚障害者両用の点文字の開発にいそしんだ。この点文字は、はじめブライユが点字器で試みたものを、彼の友人の盲人であるフーコーが独特の機械を開発し、のちにラフィグラフと呼ばれるようになった。その方法は、タイプライターの普及にともない廃れて、現在では使用されていない。
ルイ・ブライユは1852年、肺結核のため43歳で没した。クプヴレ村の墓地に埋葬された彼の遺体は、のちにパリにあるパンテオンに埋葬された。
クプヴレ村ルイ・ブライユ通り13番地にある彼の生家は点字博物館として公開されており、世界中の視覚障害者たちが訪れ、盲人たちに光をもたらしてくれたブライユの遺徳を偲んでいる。
点字を表す言葉は多くの国で、彼の名前から“Braille”(フランス語読みではブライユだが、英語読みではブレイルになる)と呼ばれる。
外部リンク
- Louis Braille Biography - American Foundation for the Blind
- The Life of Louis Braille - Royal National Institute for the Blind
- Louis Braille : Life and Works
- Biography of Louis Braille
- Louis Braille : Text of his system (1839 Original, French)
- A braille alphabet card
- Pamela Lorimer (1996), Historical analysis and critical evaluation of braille
- Biography 'Louis Braille: A Touch of Genius' from National Braille Press
- Article on Louis Braille at Encyclopædia Britannica
- 絵点字フォント「ブライユの肖像」テンプレート:Link GA