リュケイオン
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リュケイオン(Lykeion)は、アテナイの東部郊外に所在したアポロン・リュケイオス(Apollon Lykeios)[1]の神殿があった神域であり、アカデメイア、キュノサルゲス等と並ぶ、代表的なギュムナシオン(体育場)の所在地でもあった。
青年たちの教育に熱心だったソクラテスは、足繁くアカデメイアやこのリュケイオンのギュムナシオン(体育場)の青年たちを見て回っていたことが、プラトンの対話篇『リュシス』などにも描かれている。
アリストテレスの学園
紀元前335年に、アリストテレス(のパトロンであったアレクサンドロス大王(アレクサンドロス3世))によって、この地に彼らの学園が開設されたので、(プラトンのアカデメイアの場合と同じように)この地名がそのまま彼らの学園名として継承された。
アリストテレスは、リュケイオンの散歩道を歩きながら弟子たちと哲学や学問の論議を交わしたとされ、このことから、アリストテレスとその弟子たちをして逍遙学派(ペリパトス学派、hoi Peripatetikoi,散歩をする人々)との呼び名が生まれた。リュケイオンは盛んになったが、アレクサンドロス大王の死後、アテナイで反マケドニアの風潮が高まり、王の家庭教師であったアリストテレスは追放の身となる。
その他
リュケイオンの名は、現在もフランスの国立高等学校の名称リセ(Lycée)という言葉にも名残りを残している。また、「レクチャー」もリュケイオンが語源である。