リビアの国旗

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リビア国旗は現在、かつて1951年から1969年まで、王政期時代に国旗として使用されていたものを2011年に復活させたものである。

国旗制定の経緯

2011年2月27日リビアにおける内戦のさなか、反政府勢力によるリビア国民評議会がリビア唯一の代表政府であることを宣言し、ベンガジを中心とした暫定政権が発足。「リビア共和国」の国旗として、王政時代の国旗を復活させると発表した。

国民評議会をリビアの正統な政権として認める国が増えるにつれ、この旗も国旗としての認識が広まった。の配色はそれぞれ力、イスラムの戦い、緑地へのあこがれ、国民の行為を表している。

リビア内戦は一進一退の戦いが続いたが、8月下旬に首都トリポリを暫定政権が制圧しカダフィ政権は事実上崩壊した。日本のリビア大使館は同年8月22日より国民評議会の国旗を掲げた。理由について大使館関係者は「(カダフィ政権が)終わりつつあると判断したので、国旗を付け替えた」や「(旗を替える)適切な時であると判断した」と述べている[1][2][3]。9月16日、国際連合が国民評議会の代表権を承認し、19日付けで国連本部前に国民評議会の国旗が掲げられた[4][5]。見方にもよるが国民評議会の新国旗制定からカダフィ政権が事実上崩壊するまでの約半年間、リビアには国旗とされるものが2つ同時に存在したともいえる。

リビア国旗の歴史

1918年から1923年まで

短命に終わったリビア西部のトリポリタニア共和国では、空色の地、中央に緑の椰子の木、その頭上に白い星という国旗を使っていた。[1] テンプレート:-

1951年から1969年まで

リビアは第二次世界大戦でのイタリア敗戦により植民地支配から解放されたが、戦後は英国(トリポリタニアおよびキレナイカ)、フランス(フェザーン)に分割され国連信託統治領となった。1951年にこれら3地域がリビア連合王国を形成すると、近代リビア初の国旗が制定された。この国旗は赤・黒・緑の水平三色旗に、中央には白い三日月と星を配したものであった。中央の黒は、赤と緑の二倍の幅があった。この旗は19世紀以降この地を拠点としたイスラム教のサヌーシー教団を率いるサヌーシー家 (Senussi) の旗(黒地に三日月と星)を基にしたものである。

この旧国旗はカダフィ体制の成立後も、リビアの王制支持派や海外のリビア人による抵抗運動に使われた。2011年に成立した反カダフィ派の暫定政権リビア国民評議会も国旗にこの旗を選んでいる。 テンプレート:-

1969年から1972年まで

ファイル:Flag of Libya (1969–1972).svg
テンプレート:FIAVリビア・アラブ共和国の国旗(1969年制定)

1969年9月1日クーデターで青年将校のカダフィが国王イドリース1世を追放し、王政は倒れ共和政となった。リビアの正式国名はリビア・アラブ共和国 (Al-Jumhuriya al-Arabiya al-Libiya) となり、国旗は赤・白・黒の汎アラブ色による水平三色旗となった。 テンプレート:-

1972年から1977年まで

リビアは、1972年3月にエジプトシリアとともにアラブ共和国連邦 (Ittihad al-Jumhuriyat al-Arabiya) を形成し、3か国で同じ国旗に変えた。この旗は汎アラブ色の中に、連邦のアラビア語の名を書いた巻物を持つ金色のクライシュ族の鷲)をあしらっていた。 テンプレート:-

1977年から2011年まで

ファイル:Flag of Libya (1977).svg
テンプレート:FIAVテンプレート:FIAV大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国の国旗(1977年制定)

1977年3月にアラブ共和国連邦は解体し、カダフィは1977年3月8日に国名を大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国に変更する。1977年11月11日、エジプトのサーダート大統領のイスラエル訪問(11月19日より)の発表に反発し、急遽緑一色の国旗に変更された。

色はイスラームの開祖ムハンマドターバンの色とされ、イスラーム世界では最高のとされており、イスラム社会主義と人民革命の決意を表す。またカダフィ大佐が1975年に出版した『緑の書』(الكتاب الأخضر、人民主権、イスラム社会主義など自身の政治哲学を記した書)に基づく「緑色革命」を象徴する。

緑一色の理由

かつてリビアはエジプトなどとアラブ共和国連邦を結成し、汎アラブ主義を唱えていた。そのため、同一の国家を強調する目的で、リビアはエジプトの国旗を共用していた。ところが、エジプトのサーダートは第四次中東戦争の後にアラブ諸国の敵イスラエルと単独で和解、友好条約を結んだ上にアメリカ寄りの外交を開始した。このことに怒ったカダフィは即日エジプトとの合邦・同盟を解消、側近たちに翌日までに新しい国旗を完成させろと命令した。しかもそれは深夜であった為に時間がほとんど無く、戸惑った側近達は苦肉の策でイスラームで最高の色である緑一色の国旗とした(しかしカダフィはそれを非常に気に入ったという)。

なお、かつてリビアの地も領域に収めたファーティマ朝の国旗も緑一色であった。

他に一色の国旗の前例としては、オスマン帝国国旗、ハンガリー・ソビエト共和国国旗(赤一色)、フランス王国国旗(白一色、1814年~1815年・1815年~1830年に使用されたもの)、アフガニスタン首長国国旗(黒一色)などがあった。またリビア国旗の制定後には、アフガニスタンターリバーン政権の国旗が白一色に定められたが、いずれの国旗も廃止や変更がなされている。地方の旗としてはボリビアの県の旗に一色のものが3棹(ベニ県(緑一色)、コチャバンバ県(水色一色)、オルロ県(赤一色))ある。

出典

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関連項目

テンプレート:Sister

テンプレート:アフリカの題材
  1. 在日リビア大使館、国旗を国民評議会の三色旗に 社会 YOMIURI ONLINE(読売新聞)
  2. asahi.com(朝日新聞社):東京・渋谷のリビア大使館、国旗替える - 国際
  3. 【リビア緊迫】駐日大使館が国旗を替える - MSN産経ニュース
  4. 国連:「リビア新国旗」掲げる 毎日jp(毎日新聞社) 2011年9月20日 (2011年9月28日閲覧)
  5. asahi.com(朝日新聞社):国連本部にリビア「新国旗」 国民評議会の承認受け - 国際